パンゴンツォへの道のり

インドのパンゴン湖に行きたい。 インドのグルガオンで働いています。


こんにちは。Ayumiです。

インドで現地採用として日印合弁企業で約5年働き、家族と共に日本への移住を決定したことで日本で転職活動をしました。
現在はIT企業で海外案件担当として勤務しているので、転職の経験を共有できればと思います。

こちらは前編です。

インド転職の振り返りはこちら。




tenshoku


目次
<前編>
【1】転職理由
【2】職歴/資格
【3】転職の軸/マインド
【4】仕事探しの方法
【5】どんな仕事があったか
【6】応募数/通過率
<後編>
【7】面接対策
【8】転職活動のスケジュール感
【9】反省点
【10】評価された点
【11】転職活動の所感
【12】転職後の状況
【13】おわりに

待遇面の変化は後編の【12】転職後の状況に書いているため、気になる方は後編へ飛んでください。



【1】転職理由

インド人の夫(とワンちゃん)と共に日本に生活拠点を移すことを決定したため。
インドで勤めていた会社への小さな不満はあれど、昨年2023年度は月初に当月の計画達成ができるような月が多く、年度初めからわりと良いスタートを切れており増収増益で仕事が楽しくなってきたタイミングでした。
夫と共にインドで生きていく覚悟を決めつつあったこと、また、インドの成長の波に乗り続けていたい気持ちがあったため、夫から日本に移住することを提案されても長らくうーんという思いがあり、6ヶ月ほど話し合いの期間を要しました。

こういった転職理由のため、はっきりとしたネガティブ・ポジティブ要因が無く、面接時のアピールに苦労したり、自分が次にやりたいことが見つからない期間が長く正直苦しかったです。

【2】職歴/資格

※ちょっとぼかしています。

仕事は法人営業一筋10年。経験社数3社。(今は4社目。)

1社目:IT関連 法人営業 3年
2社目:サービス関連 法人営業 2年
3社目:サービス関連 法人営業 約5年 (日印の合弁企業inグルガオン)
それに加え、直近3年は拠点長業務にも従事していました。
拠点長業務は、スタッフのマネジメント、実績管理、本社への会計報告など。
拠点長を担当してから1年半ほどは新たに知る業務が多く、また、営業だけではなく会議や会計の英語力も必要だったためしんどい時期を経験し乗り越えました。
割合は少ないものの、個人営業もカスタマーケアも同時に行わなければならない場合もあり、マルチタスクをこなせるようになったと思います。
これまでの上司はこういう視点で私に接していたんだとわかり、マネージャー(中間管理職)の視点を知ることができたので、今後ずっと平社員だとしても働く姿勢が少し変わると思います。

当時の履歴書に記載できた資格(?)は、以下のみ。
・中学校一種免許状
・高等学校一種免許状
・TOEIC820点
普通自動車免許を持っていないので、要自動車免許の仕事は書類選考に通りにくかったです。

【3】転職の軸/マインド

職種:法人営業職及びインド(海外)での管理職・実務経験を活かせること
社会人年数及び年齢的に即戦力を求められるため、職種を変えることはせずに経験を活かしたいと考えていました。と言いつつ、管理職としての採用は特に求めていませんでした。

業界:IT業界もしくはITに力を入れていること
過去の業界経験から、ITを活用、提案していくことに意義を感じておりIT業界に戻りたいと思っていました。
ITって日々勉強ですし、吸収し続け、かつ、新しいアイデアを出し続けないといけない環境が楽しかったんですよね。
また、ITは人件費がかかりますが、商材によっては利益率が高いので、そういうものを売りたいなあって思ったりしました。

企業規模:事業が成長していること
もう転職活動をしたくなく、長期的に働き続けたい希望があったので、会社の規模や事業の成長を非常に重視していました。

マインドとしては、この転職を最後に1社で長期的にキャリアを築いていきたいと考えていました。
「安定した環境で、業界と職種の専門性を高めていきたい」
これが私が次にやりたいことなのだと、転職活動の終盤で気付きました。

そもそも日本に帰る決断をしなければインドの会社で働き続けていました。
また、インドで勤務していた会社は日本本社がありますが、本社への転籍は希望しませんでした。
その理由は、業務内容、給与、キャリアアップの道筋が見えなかったこと等です。
インドにいる時に、数人の方から「一旦本社で働いて、働きながら転職活動したら?」と言われました。
本社から声をかけてもらえるのは有り難いことだと。
たしかに、離職期間があると「計画性がない」「管理能力がない」と捉えられて不利になるし、一番スムーズだと思います。
しかしながら、上述の理由と女性としての人生を考えた時に、再度転職活動をするのはスケジュール上の不都合があると考えました。

また、インドからせっかく日本に戻るので、日本の経済に貢献したいと思い、安直ですが日本企業のみを対象としました。
外資系大手であれば比較的給与が高かったり、英語を使用する業務が多く、インド経験が直結する仕事もあると思います。
しかし、上述の理由と、女性としての仕事の安定・安心感も、家族と共に生きることを考えると大事なことでした。

【4】仕事探しの方法

1. 「リクルートダイレクトスカウト」に登録し自己応募
2. 「マイナビ転職」に登録し自己応募
3. エージェント「パソナグローバル」に登録
4. コンサル専門のエージェント「MyVision」に登録
5. 正社員専門のエージェント「エリートネットワーク」に登録
6. 中途採用専門エージェント「ワークポート」に登録

大前提として、インドにいる間に、仕事を辞める前に、インドでのコネクションでリファラル採用がないか聞いたりお願いするのが良いと思います。
というか社会人やってたらこれがフツーというか良い方法だと思っています。
インドにある日系企業の方々からもコネクションを利用したほうが良いよ、と言われました。
どんなお客様相手でも普段から信頼関係を築ける仕事をするというのが非常に重要になります。
(私は、入りたいくらい良い会社だなあと思っていた日系企業があったのですが、拠点が愛知県のみで、私は東京にいたかったので諦めました。そのインド支社長の方にも、御社に挑戦したいと思ったんですが~みたいな話をしました。)

ただ、私が働いていたグルガオンは自動車産業の日系企業が多い(体感7割)ので、コネクションを考えた時に、私のやりたい仕事がその業界や商材なのか?といったことを度々考えさせられました。

具体的な仕事探しの方法としては

1. 「リクルートダイレクトスカウト」に登録し自己応募
悪くなかったです。
自分で探して応募するより、基本的には届いたスカウトメールをチェックする形で利用しました。
沢山のメールが届くため見るのが大変で、興味のある内容にだけ返信し、カジュアル面談をさせてもらいました。
五大商社の募集内容に興味があり人事の方とカジュアル面談をさせていただきましたが、1年更新の契約社員だったのでまた転職活動はできないと思い応募しなかったり。
もう少し若ければ応募してましたが、インドの経験無しには有り得ないオファーだったので、(仕事が決まらない時に)挑戦するだけしてみれば良かったかなあと悔やむこともありました。
また、自己応募で落ちたものの、見送り連絡に対して返信をしたら、見送りになった背景を教えてくれた会社には今も良い印象を抱いています。
その後の応募→見送りケースの参考になりました。
ただ、利用途中でウェブサイトのデザインがスマホ用に統一され非常に使いにくくなったので、その後は全く使わなくなりました。

2. 「マイナビ転職」に登録し自己応募
悪くなかったです。
掲載企業数が多く、情報収集のためにも頻繁に利用しました。
スカウトメールを中心にチェックし、自分でも検索しながらここでは手当たり次第に「海外営業職」に応募しました。
書類選考に落ち続けましたが、自分の経験業務・年数・業界がマッチするのかどうかを把握でき、納得感もありました。
ここでの自己応募から1社内定をいただきました。

3. エージェント「パソナグローバル」に登録
実はエージェント経由での応募は「職業紹介事業の取り決めにより、日本国外にお住まいの方のサポートができません」。
日本に住民票がある(住まいの拠点が日本である)状態でないとお断りされます。
自己応募でも、たまに「日本帰国後に…」と断られたりしました。
そのため、少し苦労しながら紹介可能なエージェントを探し、パソナグローバルを見つけ登録しました。
求職者用のウェブサイトがあり、担当者提案求人とAI提案求人とが紹介されます。
システマチックになっているのは良いのですが、担当の方との接点があまり感じられず、私の仕事への情熱がどのように企業に届けられるのかが不明でした。
また、後述する他のエージェントと比べて、選考結果の連絡がとても遅かったor無かったです。
システムの利用だけではなく、もっと私から担当の方に直接メールすれば良かったのかな、というのが反省点。
他で内定が出る前に、2ヶ月ほどで利用停止しました。

4. コンサル専門のエージェント「MyVision」に登録 (おすすめ!)
コンサルティング会社専門のエージェントです。
転職活動当初、コンサルティング業界には全く興味がなかったのですが、担当の方がとても良く、「応募するのはタダですからね」と言われ気負わずに挑戦できました。
しかしながら、相当数応募して書類通過したのは2社でした。
また、転職活動最初期だったため、私の面接に対する準備不足から非常に面接で緊張しました。
今受けたらもう少し違う結果だったのかなと思うレベルでひどかったと思います。
私の経験からこれ以上応募できる会社がなくなったようなタイミングで、担当の方から今後の応募について打診がありました。
私の準備不足を痛感していたことと、海外営業職や英語を使う仕事への転職に集中したい旨お伝えして紹介終了となりました。
依頼した期間は1ヶ月半ほど。
担当の方が面接指導をしてくれたり多様な人生に肯定的で毎度励まされていました。
また、MyVisionとしてのサポート体制(面接準備シート、コンサルタントによる模擬面接、模擬面接のフィードバック)も私にとっては感動レベルでした。

5. 正社員専門のエージェント「エリートネットワーク」に登録 (おすすめ!)
正社員専門のエージェントです。
リクルートダイレクトスカウトで海外営業職を探す中でよく見る会社名ということで知りました。
思っていたほど希望の仕事が無かったり選考が進まなかったりして、エリートネットワークに登録しようかなと思っていたところスカウトメールをいただき、担当の方が人材業界一筋うん十年だったのでお願いしました。
求職者用のウェブサイト等は無く、担当の方が選んだ求人情報をメールで紹介される形でした。
紹介された仕事がドンピシャにやりたいことばかりで中にはユニークな仕事もあり、求人紹介を見るのにワクワクしました。
担当の方とのやり取りはメールと電話となり、スピーディーかつこまめに連絡を取り合っていました。
選考中の企業数が減ってくるとすぐに追加求人情報を送ってくれました。
こちらを通して1社内定をいただきました。

6. 中途採用専門エージェント「ワークポート」に登録 (おすすめ!)
日本帰国後、最後に登録した人材紹介エージェントです。
ここは、日本に居住していないと紹介不可のエージェントです。
複数のエージェントと面談していたものの、後半はエリートネットワークのみ依頼していたので、やれるだけのことはやろうと思って登録しました。
こちらでは、それまで相当数の海外営業職求人を見ていた私でも初めて見る求人が多数あり驚きました。
求職者用のウェブサイトがあり、そこでのメッセージのやり取りが主でした。
面接後及び合格時に電話でやり取りする形で、人情味のある担当の方で抜群の傾聴力と要約力があり、友達になりたいくらい好きな対応でした。
興味深かったのは、ワークポート社のオフィスに企業の人事担当者が訪問すると、求職者を紹介でき、企業がその求職者に興味を持ったら求職者に一次面接を打診することができる仕組みがあったことです。

結局最後まで利用したのはマイナビ転職、エリートネットワーク、ワークポートのサービスでした。
登録したものの利用しなかったのは、リクナビNEXT、CareerCrossなどがあります。
サービスを知るのが遅かっただけですが、求人情報収集や転職ガイドの記事等は良かったです。

記載していない他の転職エージェント3社とも面談しましたが、その会社の強みが私の求める仕事とは異なっていたことや、担当者との相性などの理由から依頼しませんでした。
たとえ1社の担当者から「異業界でその希望給与は難しい」と言われても、その他複数の会社と面談したほうが良いです。

また、日本でよく開催されている転職フェアには行かなかったのですが、経験として行っても良かったなあと今は思います。

【5】どんな仕事があったか

東南アジアやインド、北米エリアの駐在員案件
日本に拠点を置いて家族と生活していくことが主題だったので、今後いずれ妊娠・出産・育児を私がすることになるならば、入社後すぐ駐在ありきの仕事に応募するのは気が引けました。
もう海外生活は満喫したし、駐在するような仕事は今すぐではなく、10年後20年後でも悔いはないと考えたので、今は違うのかなと思い応募していません。

海外営業職(出張あり)
業界問わず、様々な海外営業の仕事がありました。
転職活動初期は、日本企業から見た私の市場価値を認識しておらず、手当たり次第に応募していましたね。

法人営業職
前職と同業界の法人営業職も当然ありましたが、それでも有名大手企業は書類選考で落ちました。
新卒で入社した会社がIT業界で、3年しかそこに勤めておらず7年のブランクがあったものの、IT業界の法人営業職も多くありました。
でも、本気で転職で業界を変えたい人は、IT業界であればIT関連の資格を取るなど事前に準備して意欲をアピールできないといけないんですよね。

【6】応募数/通過率

応募数:167社
書類選考通過:18社
一次面接通過:7社
二次/最終面接通過=内定:2社

一般的に、書類選考通過率が30~50%、一次面接通過率が30%、二次/最終面接の通過率が50%と言われているため、私の場合は非常に低いものになっています。
主な要因は、異なる業界の上場企業を中心に応募していたからだと考えています。
上場企業は中途採用の数(割合)が少なく、
①転職回数が年齢に対して比較的多い=長期就業に不安が残る
②社会人年数が長いのに経験業界が異なるため社風と合わない可能性
などがネガティブ要素となり書類選考で落ちました。
企業としては、長期キャリア形成を見据えると優先度が低く、20代(第二新卒)や同業界の候補者を優先します。
それを痛感しました。
これまでの私と親和性が高いだろうベンチャー企業や従業員数300人以下の企業などは、よほど強い関心が無い限り応募しませんでした。
また、カルチャーフィットで落ちることも多々ありそれはしょうがないことだと思いますが、最終面接で落ちるのはスキルや経験ではなく「意欲が見えない」ことが原因だったため、転職活動終盤はその点の改善に力を入れました。

履歴書と職務経歴書については、内容のアドバイスや修正指摘をされたことがありません。
日本の会社でお世話になった方がリクルート出身で、その方の職務経歴書を見せていただいたことがあり、それを参考に自分の職務経歴書を作成していたからだと思います。

第一希望から内定をいただいた後は、他社の選考は途中で辞退しました。
ちなみに、書類選考通過後、SPIなど適性検査の受検がありますが、この結果を理由として落ちたことはないため、中3レベルの数学ができれば問題ないと思います。
(私は高校数学の五段階評価が1~2。やばすぎ)


続き、後編はこちら↓




こんにちは。

インドで現地採用として勤めていた会社を退職し、日本での転職活動を終えたので、インド現地採用として働いてどうだったかザッと振り返りたいと思います。
内容に少しフェイクを入れています。



インドでしていた仕事

私にとっては3社目の会社でした。
日印の合弁企業で、インド進出日系企業相手の法人営業職として2019年4月から約5年働いていました。
直近3年はインド拠点長としての業務も担当。
日本人の上司は日本本社にいて、インド人の上司はインド親会社のオフィスにいて、基本的に自社オフィスに上の人がいない状況でした。
オフィスではインド人のマネージャーと同僚、日本人の同僚と一緒に勤務していました。
使用言語は日本語5割、英語5割でした。



インド渡航前に日本で私がしていた仕事

1社目:IT関連の法人営業職 3年
2社目:サービス関連の法人営業職 2年
インド転職の際は、同業界同職種の経験をアピールして採用して頂きました。



海外就職した理由

海外でのビジネス実務経験を積んだ上で、日本に戻ってキャリアアップしたいと考えたからです。
1社目でも2社目でも、海外関連の仕事が全体の5%ほどあり、日本国内から携わっていました。
給与が凄く良いというわけではなく、次第に現地に行きたいなあという思いが募り、海外転職という道を考え始めました。
当時の私は英語力が高くなかったので、プライベートで英会話スクールに1年半ほど通い、TOEICスコアを550→745まで上げました。
当時は、私の職歴について自信がなかったこと、すぐに現地で働きたかったことから、日本国内の転職で海外駐在を狙うということは考えませんでした。



インドだった理由

表向きの理由と裏の理由があります。
<表>
・巨大な成長市場で挑戦してキャリアを築きたい
・せっかく身に着けた英語を使える仕事をしたい
・旅行で行った際に初めてもう一度行きたいと思えた国だった
<裏>
・インド各地を旅行したい
・インド映画をたくさん観たい
・ヒンディー語を勉強したい

裏の理由は、インド転職時の面接では一切言ってません。ヒンディー語の勉強は言ったか?
「英語力を伸ばしたい」と思っていても、面接での言い方は気を付けたほうが良いと思います。
会社は英語教育機関ではないのと、すでに英語力がある人、自分で努力してる人のほうが優先されるためです。



予想通り大変だったこと

①1年目が一番しんどい

1年目、毎月お腹を壊して病院に通い、それによって手術・入院を経験するなど、健康管理が本当に大変でした。
インドってお腹を壊した時の状況がレべチで、治るまでに5日くらいかかるんですよ。
1ヶ月の内1週間くらい不調なのヤバい。

また、インドの夏の環境に適応できず、顔に90個の吹き出物ができて美容皮膚科にかけこんだこともありました。
人生で初めて口唇ヘルペスを発症したりもしました。
さらに、私は渡航して10ヶ月目あたりでホームシックになりました。
当時の日本人の同僚と話して色々気付けたことがあり、日本人の同僚の存在が有り難かった。

2年目以降は、かかりつけの病院ができたり、薬や対応方法がわかったりして、だいぶ楽になりました。

②インド人と働くことの大変さ

大変というよりは、日本で同じ仕事をする時より負荷の増えた業務がある、でしょうか。
・ひとつのことを終えると他の複数のことをほったらかしにする
・やったらやりっぱなしで報告がない
・何かトラブルが起きた際に、自分の責任を回避しようとする
・全然「No Problem」ではない
・本当に「Yes」だろうか
あまりにも面倒なことが何度も何度も、5年経っても起こるので、「なんでこうなんだろう?」と原因や背景を見つけ出そうとしてしまうんですが、「こういう背景があるからこうなんだ」と決めつけてしまうのは危険だと思い、後半はソフトスキルで乗り越えました。
マニュアル化はしなくても、日本人同士で進めやすい方法を共有したりもしましたね。



予想外に大変だったこと

現地採用として仕事をしていく中で、思ってたことと違ったことが出てきたんですよね。

①インド人と共に働くこと以前に日本人と働くのが大変かもしれない

海外の現地採用って、みんな挑戦してきてるわけじゃないですか。
その心意気や行動が素晴らしいのはもちろんあり、業務の経験者じゃなくても採用するケースは往々にしてあるんですよね。
やっぱりガッツは大事なので。
そうすると、基礎的なスキルを共有するのは当然のこと、企業文化や働き方も一部示していかなければなりません。
これは私自身が拠点長を経験したからではなく、他社の方と話す中で思ったことだったり、一般社員の時にも難しさを感じたことだったりしました。
駐在員の場合、他の日本人社員も出向者で同じ仕事の仕方をしてきているからあまり感じないことかもしれません。

似たような気持ちを以前書いていた↓


②生理的欲求と安全欲求を脅かしてまでやりたいことなのか?

マズローの欲求階層説というのがあります。

maslow

下層の欲求が満たされると、さらに高次の欲求が高まるとされるもので、心理学分野で使われることが多いようです。(6段階目の自己超越欲求も提唱されています。)

これに照らすと、インド(海外)転職というのは、「海外で経験を積みたい」という自己実現はかなえられる、あるいは、「人と違うことをしてる私」のような承認欲求は満たされるのですが、生理的欲求と安全欲求という土台の部分が不安定になるリスクがあります。

日本に帰って来てから、色々なアイデアややりたいことが浮かんできたのですが、なぜこういった前向きな動きをインドでできなかったかなと思ったりしました。
自分の欲求についてマイナス(ネガティブ)をゼロにすることで精一杯で、ゼロからプラス(ポジティブ)にしていこうと考えたり行動したりするのは当時の私には簡単ではなかったんですよね。
苦手ではないはずのブログすら書けない期間もありました。
日本からは行きにくい西側の国に旅行に行けば良いのに、日本一時帰国のために休暇とお金を使ったりもしました。

ただ、だからこそ、海外就職という挑戦が評価される面もあります。



インドで良かったこと

仕事以外の経験の部分で、「インド」で良かったこと。

①経済成長を肌で感じられたこと

日本の高度経済成長期のような街の変化をインドのグルガオンで目の当たりにしました。
コロナの影響を受けたものの、物価は上がっていくし、給与も上げざるを得ない。
未来に対する明るい希望を感じられたこと、経済成長ってあるんだと感じられたことで、人生の見方が明るくなって良かったです。

②金利の高さ

①に絡んで、インドで経済成長の恩恵を受けていることでストレスを和らげられる瞬間がありました。
私はインドに住み続けるだろうと思ってから始めたので遅かったのですが、定期預金は1年3ヶ月で7.1%、普通預金でも年利4%(3ヶ月に1回1%分が自動で振り込まれる)です。
他に、デジタルゴールドにもお金を突っ込んでいます。
税金対策でMutual Fundも。
最終的には解約することになりますが、Employment VISAでも利用可能です。
ちなみに、計画すればかなり貯金はできると思います。
私は、会社の食事付社宅に住んでいたことで出費が少なく、逆に結婚してから生活費の共同負担で支出が増えました(笑)

インド生活1年間の支出↓


③英語力は上がった

インド渡航前のTOEICスコアは、勉強と対策をしてやっと745取れるレベルでしたが、インド勤務して4年経過時に820になりました。
しかし、インドにいるとわかりますが、インドにいる日本人の英語力には差があるので、自分で勉強を続ける努力が必要です。

④インド国内旅行

旅行が大好きなので、裏の目的であったインド国内旅行ができて良かったです。
観光したのは、北インドを中心に、デリー、アグラ、バラナシ、ジャイプール、チャンディーガル、リシュケシュ、アムリットサル、ダラムシャラ、レー、ボパール(サーンチー)、オーランガバード(アジャンター・エローラ)、ゴア、チェンナイ。
本当はもっと行きたかったのですが、行けなかった事情には納得しています。

⑤インドでの友人知人との出会い

これ、インドだからという理由にしていいものか迷ったので最後に書いていますが、本当に貴重な出会いだったと思います。
現地採用だと特にインドという環境に飛び込んできた“仲間”といった意識がありました。
また、私は出身大学の同窓会の幹事をしていたのですが、駐在員としてインド赴任している方々との接点もとても楽しく、結婚生活が辛い時には親身に励ましてくださり、ほぼ全員先輩なので人生の学びの場になっていました。



日本に本帰国した理由

インド人の夫と共に、日本に生活拠点を移すことを決定したためです。

インド転職時点の計画としては、3年働いたら日本に戻ろうと考えていました。
しかし、インドで夫と出会い結婚し、インドでキャリアを築き生活する覚悟を決めつつありました。
と口では言っても、キャリアのためにインドに来たという思いがずっとあり、結婚によってインドに縛られる(と思っていた)ことを辛く感じていた時期も長かったです。
夫婦としての紆余曲折を経て、夫から日本に行こうと言われたことで、話し合いの上で日本に戻ることにしました。

なので、自分のキャリアにとって良いタイミングだったとは言い難いです。
「やりきった!よし次行くぞ!」といったマインドではありませんでした。
とは言え、コロナ禍のどん底から這い上がって会社の業績がとても良い状態で後任に引き継げたので、成果を出せたタイミングだったことは良かったかな。



インド転職したい人に伝えたいこと

何様?って感じですが。

①自分の頭で考えて動ける人に向いている

日本企業の新卒入社時にあるような研修制度は無いと思ったほうが良いです。
基本的なビジネススキルの確認と、会社のルールや業務についてはOJTがあると思いますが。
自分が学びたいと思っていること。どういう成果を出したいのか。日本に戻ることを考えているのか。
キャリアアップにせよ、そうでないにせよ、自分で考えて動ける人は向いていると思いました。

(私自身はgo with the flowなところがあり、置かれた場所でとにかく頑張るタイプなので、日本で転職活動をする今になって経歴を整理しアピールするのが大変でした。)

②自分で積極的に道を切り開けるタイプでなければ、就職は日系企業がおすすめ

私は日本の東証プライム上場企業とインド企業の合弁会社に勤めていたのですが、この選択は私にとっては本当に良かったと思いました。
小さな組織ではありましたが、やはり日本側の目が光るので、会計上変なことは起きません。私の知る限り。
これは会社の収支についてはもちろんのこと、私たち日本人社員のVISAや納税についても問題が起きないようサポートしてくれるというのは大きいと思いました。
また、コロナが発生した時すでにインドで働いていましたが、インド資本ONLYの会社で働いている人が、待遇が変わったりジャパンデスクが縮小するなどの理由で退職するのを見てきました。
もしインド資本の会社で働く場合には、「日本に戻ってキャリアアップする」ことを考えた時に、その会社で働くことで得られた経験やスキルをどのようにアピールできるか、それを自分で考えられる人が向いていると思います。
私は、運良く拠点長業務を経験したので、海外進出している日本の会社が求めるような
・インド現地法人のマネジメント
・日本本社と現地法人の調整
・日本本社に対しての会計報告
・日本本社のインド案件に関する営業支援
などの経験ができ、それがプラスになったと思います。

③未経験業界・未経験職種に挑戦しキャリアチェンジしやすい

私自身ではなく周囲を見ていた中で感じたことですが、日本で未経験に挑戦するよりも仕事が決まりやすい印象を受けました。
その場合、何度も未経験業界・未経験職種に転職していくのではなく、「日本でこの業界やこの職種でキャリア形成したいから、インド転職のタイミングでターゲットを定めて結果を出すぞ」といった気持ちや計画は必要だと思います。

(私は日本での仕事の経験をそのまま活かせる形で、同業界・同職種ででインド転職しましたが、出口をしっかり考えていなかったことを反省しました。)

④インドが好き、インドに住み続けたいのであればどんな選択でも前向きに進められそう

ここは否定できないと思うんですよね。
別に、見た目に綺麗なキャリアを築くことだけが人生ではないのですし。
2019年頃、「海外就職でキャリア形成」「出口戦略を考えろ」みたいな意見を目にすることが多く、そういう空気感しんどいわ~と思っていました。
私には裏の目的もあったので、好きな気持ちではダメなのか?と。
でも、いざ自分が日本に戻って転職する段階になって、「好きな気持ちだけで何も考えてないのはアウト!」と自分に言いたい気持ちもあります。
だって人生に絶対はないのだから。準備して損はない。



日本帰国後のキャリア

東証プライム上場企業で海外案件担当の法人営業職として勤務予定です。
元々希望していなかったので管理職ではないけれど、企業規模の点からはキャリアアップだと思います。給与もアップ。
日本への転職については、あまりにも決まらなくて涙を流したりストレスでギックリ肩になったりと、とっっっても苦労したので、別エントリーで1万字書きます。

乞うご期待!


こんにちは。

私は元々洋楽が結構好きで、洋楽への入口はビリー・ジョエルだったりします。

R.E.M.(アールイーエム)というのはアメリカのバンドで、彼らを知ったのは「Beautiful Songs~ココロデ キク ウタ~」というオムニバスアルバムです。
今からもう17年ほど前、中学3年の時に、友達が貸してくれました。
その中に、R.E.M.のNightswimmingという曲が入っていたのです。

この曲を大好きになり、R.E.M.のアルバムを聴くようになりました。
大学生になって時間もお金も自由になると、ディスクユニオンに行って、手当たり次第にR.E.M.のアルバムを買って聴いてました。

R.E.M.を好きな人がまわりにおらず寂しさを感じていた時間も長かったのですが、大学で入った軽音サークルの人たちはR.E.M.を知っていて、R.E.M.を好きな人もいて、とても救われたような気持ちになったのを覚えています。

残念なことに、R.E.M.のライブに行ったことはありません。
R.E.M.が最後に日本に来たのは2005年。
私がR.E.M.を知ったのは2006年でした。
そして、2011年に解散の発表があり、そのニュースを見るPCの前で涙したのを覚えています。

R.E.M.を好きだと言うと「暗いね……(笑)」という反応がありそれもわかりますが、人間誰しもダークな面を持ち合わせているはずなので、全人類にお勧めしたいんですよね。

ということで、私の人生の節目節目にいてくれるR.E.M.のおすすめソングを紹介します。


R.E.M. - Nightswimming (Official Music Video) [British Version]

一番大好きでずっと聴いている。いつも頭の中にある。




R.E.M. - Daysleeper (Official HD Music Video)

これ、MVの撮影場所が東京だと最近気づきました。




R.E.M. - Everybody Hurts (Official HD Music Video)

一番有名な曲なのか、インドの複数のカフェでこの曲が流れているのを聴いたことがあります。
R.E.M.を知らない夫もこの曲は知っていました。




R.E.M. - Shiny Happy People (Official Music Video)

明るいテンションの曲です。歌いたい。




R.E.M. - Supernatural Superserious

比較的新しいアルバムで、私が高校生の時にリリースされて、リアルタイムで新曲を聴けるのが嬉しかったですね。
かなりポップになったと感じました。




おすすめのアルバムは、一番有名な『Automatic For The People』かな。
王道すぎるおすすめだけど、アルバムとしての完成度が高くてずっとリピートできます。

フジロック来てくれないかな~(笑)

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