2024年3冊目、マルクス・アウレーリウス著『自省録』を読んだ。

衝撃だった。私の哲学の柱のひとつになるかもしれないとページをめくる手が止まらなかった。
この本を知ったのは漫画『ミステリと言う勿れ』4巻以降の会話で度々使われていたからで、気になって神谷恵美子訳『自省録』を手に取った。
そもそも、これを書いたのはマルクス・アウレリウス・アントニヌスという2世紀に活躍した第16代ローマ皇帝で、五賢帝最後の皇帝として知られている。
高校世界史で必ず勉強する人物だ。
そういう人の本なのだ、とそれほど事前知識を入れずに読み始めた。
読み始めてすぐ、31ページにこんなことが書かれている。
たとえ君が三千年生きるとしても、いや三万年生きるとしても、記憶すべきはなんぴとも現在生きている生涯以外の何ものをも失うことはないということ、またなんぴとも今失おうとしている生涯以外の何ものをも生きることはない、ということである。
雷に打たれたようだった。
内容もさることながら、翻訳のかたい文体にも惹かれ、「ああ、これは私にとって二つ目の哲学の柱になるのかもしれない」という喜びを感じた。
(私はニーチェの『ツァラトゥストラ』を哲学の柱の一つにしており、人生で三つの哲学の柱を持ちたいと思いながら読書に向かっている。)
本書では、アウレーリウスが「自分自身に」書いた内容であるため、君がという記述は自分に対して語ったり言い聞かせたりしているものである。
本当は皇帝になって政務や戦争に赴くことなどせず、哲学者として生きたかったアウレリーウスの、自身への鼓舞を感じて感極まった。
私が感じた主題は3つ。
・自然に従い、与えられた人間としての役目を自覚しありのままを認めて生きる。
・外的要因に左右されないこと。内的要因を見つめ主観であることを理解すること。
・私たちが携わることができるのは過去でも未来でもない、現在だけである。現在に集中せよ。
死という出来事が宇宙の行為のひとつであるようなことも頻繁に言及される。
これは、彼が多くの子どもを自分よりも先に亡くしていることや、自ら戦争に赴いていることを想像すると、彼自身に言い聞かせようとしているのかと感じ涙が出そうになる。
他に、賢帝でも朝起きるのが嫌だったんだなあと励まされるような文章もある。
明けがたに起きにくいときには、つぎの思いを念頭に用意しておくがよい。
「人間のつとめを果たすために私は起きるのだ。」
自分がそのために生まれ、そのためにこの世にきた役目をしに行くのを、まだぶつぶついっていいるのか。……
仏教の考え方に近いような内容もあり、宗教に関わらず、この時代にはこういった思考や考えが起こり始めていたのかなと思わされることもあった。
哲学史をもっと勉強してみたい。
最後に、私の好きな一節を紹介して終わりたい。
君の全生涯を心に思い浮かべて気持をかき乱すな。どんな苦労が、どれほどの苦労が待っていることだろう、と心の中で推測するな。それよりも一つ一つ現在起ってくる事柄に際して自己に問うてみよ。「このことのなにが耐え難く忍び難いのか」と。まったくそれを告白するのを君は恥じるだろう。つぎに思い起こすがよい。君の重荷となるのは未来でもなく、過去でもなく、つねに現在であることを。