パンゴンツォへの道のり

インドのパンゴン湖に行きたい。 インドのグルガオンで働いています。

映画『ライフ・オブ・パイ』を観ました。
インドの俳優イルファン・カーンが出ており、彼の演技を見たくなってU-NEXTでレンタル購入。

いやはや、参った……。
予備知識を全く入れず、虎と少年が共に旅をして最終的に心を通わせるありがちな冒険譚かと思っていたら全く違う話でした。

最終的にめりめりのめり込んで観てしまいました。

私の琴線に触れたのが何なのか知りたくて、原作を読み映画を何度も観ました。

種明かしをしているつもりはないのですが、物語の内容を書いてはいるので、できれば原作や映画に触れた後に読んでほしいです。


ストーリー

インドで動物園を営む家族がカナダに移住のため船で動物と共に移動していたところ、その船が沈没。
救命ボートに一人残された少年だったが、そこにはベンガルトラも乗っていた……。



まずは映画について

lifeofpi

タイトル『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』
公開:2013年1月24日 (日本)
監督:アン・リー
俳優:スラージ・シャルマ、イルファン・カーン、タッブー、レイフ・スポール

観終えてすぐは意味がわからず、少し考えてから今まで観ていたものが繋がって、ゾッと怖い気持ちになりました。

まとめて言うと、「信仰と少年の成長の物語」。

主人公・パイの感じる恐怖はどれほどのものだったかと。
自分でも抑えられない荒ぶる感情、信仰を追いやってしまうほどの食べることへの欲求、着く先も着くのかさえもわからない海の上での不安。
それらと上手く付き合う方法があれだったのか、と崩れ落ちるような気持ちになりました。

いろいろな宗教に興味を持ち実践しようとするパイは、父親に「それは何も信仰していないのと同じだ」と指摘される。
旅を経て、いくつもの宗教への信仰が変化したわけではないようだけれど、自分を見つめ、克己心を養いながらも、現実と理想との間の苦しく辛い葛藤があり、神の存在とは何かといった数々の難題に立ち向かったんだろうなあ。


◆アカデミー賞4部門受賞の映像美

原作を読んで益々感じたことですが、映像表現が巧み。

オープニングから、何かわからないけれど大事なことが始まった……と引き込まれるほどに輝きを放つ命。
映画『オーシャンズ』を見ているかのような生き物たちの美しさと躍動感に加えて、その神秘性。
CGが、他作品と比較して精緻でリアルかつ目新しいというわけではないものの、やっぱり神秘性の表現には脱帽。一見の価値あり。

荒れ狂う嵐の海とそれに立ち向かおうとするパイの狂気、怯える虎のシーンは忘れられず、高い波を見る度にパイのことを思い出してしまいます。
このシーンで「なんだか凄い映画を観てしまった」と思いましたが、その感想が覆ることはなかったです。


それから原作について

lifeofpibook

名:パイの物語 (Life of Pi)
著:ヤン・マーテル
訳:唐沢則幸

どこの書店に行っても在庫がなく、竹書房のサイトで検索しても出てこなかったので疑問に思っていたのですが、どうやら絶版になっているようです。
(どこかの書店で検索した時に【絶】って書いてあった。)

BOOK・OFFに行ったら『パイの物語 下』だけあったので即購入しました。
結局、20店ほど書店をまわったのですが見つからなかったので『パイの物語 上』はAmazonでポチリ。本体1円でした。


◆内容

『パイの物語』は三部構成の100章で書かれています。
100章で終えることに意味を持たせています。


◆パイの飢え

食べること、食べ物がいつかなくなってしまうことへの不安、飢餓への恐怖というものを感じさせられ、心が痛みました。とても辛い。
映画では、パイが肉を口にせざるを得ないことや本人の痩せていく外側から見えるその過程によってそれを感じるけれど、本ではパイの節々の行動によってそれが表されています。

例えば、大人のパイの家で天井まで届くほどに積まれたキッチン棚の食材(缶詰)や、舟に留まった鳥を疑い無く食料として見るところ、助かった後も日本人調査員のくれる食べ物を催促したり溜め込んだりするところ。

鳥を迷いなく殺したところで、やっと、パイがどれほど飢えてどれほど辛いかに気付かされました。


◆パイという呼び名

本名で馬鹿にされないよう円周率のパイに繋げた、本人がつけた呼び名です。
円周率というのは数字がどこまでも続いていく終わりのないものです。
パイのこの人生、この漂流の時間が永遠に続いていくような、そんな絶望も感じさせる呼び名です。

その一方で、無秩序を嫌い形式を重んじるパイにとっては、ぴったり100章で終えることでなにか意味のある形をこのお話に与えたかったようです。


◆信仰について

パイは、ヒンドゥー、キリスト教、イスラームを信仰するようになります。
信仰するに至るまでがなかなかに興味深く、その後漂流の最中もそれら全ての信仰心や考え方が出てきました。
「宗教」よりも「信仰」に関心がある私としては、パイの信仰についての心理は理解できるものがありました。
これを書いた作者の軌跡と、パイの心の動きに興味が湧きました。


◆パイの涙

大人のパイが漂流の最後を振り返り、(映画で)涙を流すシーンがありました。
映画を観ている時は涙を流すほどのことなのか…と驚き、あまり感情移入はしなかったのですが、本を読んだ時には同じシーンで私もいつの間にか泣いていました。

私はこの部分がとても印象的だったしパイの旅路の象徴として好きなシーンでもあります。




まああとは、絶版なので言ってもしょうがないかもしれませんが、誤植が目立ったかな。

今回は、映画を観てからの原作だったので、どちらの評価も高いままで個人的には良い順番でした。
たいてい、原作読んでから映画を観に行くとガッカリしてしまうので…。

いろいろ書いてはみたものの、本当は、誰も、この物語を語れません。

観た人に委ねられる物語。ぜひぜひご自身の目で感じてみてほしいです。


書きたいことはいっぱいあるのにブログサボってました。

つ・い・に!
インド旅行が決まりましたーーー!わーい!

インド映画を好きになって2年以上が経ち、ついに!という気持ちです。
元々、ずっとラダックとかパンゴン湖に行きたかったんですが、それだけの日程が調整できず……。

今の会社は年末年始が長期休みになることが去年わかっていたので、母親と海外旅行に行こうという話をしていました。
東南アジアの話などをしていたんですが、ふとインド行きツアーがあるのでは?と思ってトラベルコで探し、母に提案しました。

すると母も乗り気に!

結局ツアーは満席で予約できなかったんですが、飛行機の往復だけは取れたので、ひとまず旅行だけは決定しました!わーーーい!

これから現地ツアーとホテルを自分で予約します。
が、現地のことがわからないので意思決定できずうだうだホテルを悩んでます……。

一人で行くなら自己責任でシャワーが出なかろうと虫がいようと「まあしょうがないか」と思えそうなものの、母も一緒だとストレス少ないホテルのほうがいいよなあと思ったり。
しかし母は「山小屋に泊まれるんだし、一蓮托生」と言って私に任せてくれています。
山小屋に泊まるほどのメンタルでインド行くの?(笑)一応街に行くんだけど……。

とりあえず、1日目はアグラ、2日目はジャイプル、3日目はデリー観光と映画ということは決めました。楽しみ。準備をしっかりして行こう。


キネカ大森にて開催のインディアン・シネマ・ウィークで『神が結び合わせた2人(原題:Rab Ne Bana Di Jodi)』を観ました。

2008年に公開された、ヒンディー語映画です。
rabnebanadijodi


ストーリー

主人公スーリ(シャー・ルク・カーン)は、突如、恩師の娘ターニー(アヌシュカ・シャルマ)と結婚することに。
スールはターニーに一目惚れしていたものの、なかば強制的な結婚だったこともあり2人の生活はぎこちないまま。
そんな中、ターニーが通い始めたダンス教室に、スーリは別人ラージを装って通い、ターニーが招待に気づかぬままペアダンスを踊ることになった……。


感想

この映画、スーリを自分だと思うか、あるいは自分のパートナーだと思うかによって、感想が変わってくるのかもしれません。

私はシャー・ルク・カーン演じるスーリへの苛立ちが未だに止みません。

スーリ、何様なの?
ずっと「ご主人様」のつもりなの?

美容室でのボビーとの会話で、(ラージではなく)「スーリの愛に気づいてほしい」と言ったあの時、うわなんだこいつ気持ち悪…と思い、その後興醒めしてつまらなくなってしまいました。

この人はいつまでひとりよがりなんだろう…ターニーのことを思ってひっそり支え励ます自分に気づいてほしい…って、結局自分のことばっかりのエゴ野郎じゃないか。

最後にどのような形でも真実を明かすのだろうと思っていたけれど、やり方よ。

ターニー怒ったらどうしよう、無事終わるのか?、と冷や冷やしていたんですが、そこは私の杞憂に終わりました。

ダンスシーンは素晴らしいんだけども、合間に入る回想によって、ターニーの気づきを私たち観客も共有することに。

いや、ああはならないでしょ。。

ターニーに余計な苦悩を強いてるよね。そこすっ飛ばしなの?納得いかないー!
全てに気付いたら、私だったらむかつくし、ではさようなら、なんだけどな。。
だって、スーリにせよラージにせよ、どうなってもターニーとはずっと一緒にいられるんだよ。(そういう話だよね?私ここちゃんと読み取れてるかな?)
でもターニーはどちらかを傷つけることを覚悟してるんだよ。
短い時間だとしても、スーリは、ターニーにだけ決断を委ねてるんだよ。
それで自分は「愛してる」って、よー言うわ。

スーリの愛、駄目じゃないよ。
ひとつの真実だし、ひそかに支える愛、見守る愛、励ます愛は、とても大事なこと。

でもそれを良いことに「自分の愛に気づいてほしい」って言うのはもう愛じゃないです。エゴです。
結局自分なんじゃん…。

しかも、ターニーだけが気付かなきゃいけないの?ターニーにだけ、気付きを求めるの?
スーリ自身は何も気付こうとしないの?

むかつく。

私、察してちゃんが嫌いなんですよ。
人の喧嘩って「気づいてくれなかった」「言わなくてもわかるでしょ」みたいなところから始まることが多くて、いつも同じ原因で喧嘩してて疲れないのかな?と思う。
私は、例えば恋人相手に、自分が何かしたら「したよ!」って言うし、頑張ったので褒めてほしかったら「褒めて!」って言うし、髪の毛切ったことや新しいお洋服に気づいてほしかったら「見て!」って言う。

「相手の求めてることに気付いて率先して行動すること」を自分がやるのは良いの。
でもそれを、自分と同じようにすることを相手に求めるのは違うんだよ。

私は、人類の争いをこれ以上増やしたくない!(誰目線)
察して案件の喧嘩はやめて!

という私の性格と考えにより、私にとってラブネは特におすすめしたい作品にはなりませんでした。

私の書いた点に関して、他の視点がある方は教えていただきたいです。



ちなみに、ラブネ大好きでオススメしてきた元彼に愚痴を言ったら爆笑していました。

「君も10年前に見てたら違う感想だったかもしれないね。」と言われた。

どうだろう、10年前は子どもだったし、昭和的な家父長制の家庭で、支える妻や母が当たり前だったら、そう思ったかもね…。


ここ以外の部分では、シャー・ルク・カーンの泣き顔がとても印象的だったな。
この人の泣き顔のせいで(おかげで?)私は今まで何回泣いてきただろうか、とこの映画を観て思った。
シャー・ルク・カーンは観てるこちら側の感情をも揺さぶる泣き顔をするよね。

あと、私の大好きなアヌシュカたん!
顔は変わってないけど表舞台に出る度に可愛くなってきたんだね!と胸きゅんでした。
はあ可愛い。
でも魅力を感じるキャラクターではなかった。シャー様様の映画だから、しょうがないのかな。

それから、音楽は好き!
以前、おそらくYouTubeの自動プレイリストで何度か聞いていたんだと思う。
映画観ながら口ずさめる自分に驚いたし、今も歌っているくらいには好き。




映画の感想って、自分の元々の考え方だけじゃなくて、その時の自分の状況も多分に影響されて出てくるものだから、今はこういう気持ちなのかなあ。
まあ、何年か経ったらまた観てみようかな……。

ほんと、この映画に関しては、他の新たな視点が知りたいです。


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