パンゴンツォへの道のり

インドのパンゴン湖に行きたい。 インドのグルガオンで働いています。

3idiots


私は、『きっと、うまくいく』を観てインド映画に傾倒しました。
このブログのタイトルであり、書く目的にもなっているパンゴンツォ(パンゴン湖)は、この映画のラストシーンに出てきます。

おそらく100回は観ている。。。

繰り返し繰り返し観ていく中でやっと気づいた面白さがあったので、紹介したくなりました。

インドの人にとっては常識かもしれないけれど、あまり身近でない日本人は気づけないあれこれを解説!

この解説を読んだ後、あなたはきっと観たくなる!

※要注意※
ネタバレです。
この記事は、一度映画を観たことある方に向けた内容です。

Timeは映画上でいつ時点かを表しています。



ワサント地区とは?

Time 00:03:50

冒頭のシーンで、ファルハーンがラージューを迎えに行く時に運転手に「ワサント地区へ」と頼んでいます。

このワサント地区はVasant Vihar(バサントビハール)のことで、デリー南部の高級住宅街を指しています。
官公庁や大使館などに近く、大きな邸宅が並ぶエリアもあります。家賃も高いです。

日本で言う、西麻布や六本木に近いイメージでしょうか。

奥さんがいて、大きな邸宅に住んでいるので映像からもわかりますが、極貧として描かれているラージューのその後を最初に紹介していたんですね。

インドはカースト制度があった影響か、居住エリアがあらかた分けられてしまうようですが、ITは新分野のためその枠に含まれずのし上がることもできるので、人気の職業なのです。
(その分競争が激しいことは映画からも読み取れます。)



入寮時の後輩しごき

Time 00:13:20

入寮の日、主役3人を含めた1年生は先輩からしごきを受けています。

これをインドでは「ラギング」と言います。

『きっと、うまくいく』では入寮時以外にこの場面は見られませんが、入学時だけの場合もあれば、1ヶ月、あるいはずっと続くような学校もあるそうです。

インドではラギングによって命を落とした人がいたり、日本にも同様の例はあるので、私としては何回見てもポジティブにはなれないシーンですが、このシーンの行為自体は映画の中でたびたび印象的に使われていますね。



チャトルのスピーチ後に投げているハンカチ

Time 1:03:50

チャトルのスピーチ内容に関しては、専門の方が詳しくかつ冷静に解説されていらっしゃるのでここでは割愛します。

チャトルのスピーチ後に、ハンカチ投げているシーンがあるんですけど、あれって何なのか教えてほしい……。ブーイングの意味があるのか?



ランチョー家の白装束の人々

Time 1:26:00

シムラーに着いてランチョー家の敷地内に入った時に、庭に白装束の人がたくさんいるシーンがあります。

家の中に入って「葬式だ」という説明があり、私はここで初めて「葬式?誰の?」とドキッとしました。

日本では現在、喪服は黒のイメージが強いと思いますが、インドのヒンドゥー教においては喪服は白なんです。

だから、このシーンでは庭の白装束の人たちを見た時点で「えっお葬式?誰の?ランチョー?」と焦るんですよね。

喪服を知っているかどうかで、感情の揺れるタイミングが少し変わるんですね。



恥カキクケコの意味

Time 1:36:14

ランチョーの正体がわかった後、車の中で、チャトルが、学校で先生をやっているらしいランチョーを馬鹿にするシーンがあります。

日本語の字幕では

(引用)
チャトル  「あいつはアイウエオの先生か」
ラージュー 「恥カキクケコめ」

実際には英語で

チャトル  「A for Apple, B for Ball」
ラージュー 「D for Donkey」

と言っています。

アルファベットを覚える時に、「A for Apple, B for Ball」と歌いながら覚えるようですが、その際、DはDogやDallとするのが一般的だそう。

Donkeyはロバという意味ですが、ここでは馬鹿や愚か者、まぬけ、と言う意味の使い方をしています。

ランチョーを蔑む(学校の先生を蔑む)チャトルを皮肉って、D for Donkeyと言っているのですね。

これを「恥カキクケコ」と訳したのはうまいなあと思いました。

私は英語のアルファベットをこういった形で習ったことが無かったので、このジョークは英語が共通言語の国だけあるなあとも感じました。



ピーメールの時に歌う歌

Time 1:46:45

3人が酔っ払って校長の家に忍び込んだ際、ラージューとファルハーンが玄関で「ピーメール」と叫びながら放尿します。

(pee=おしっこ)

そこから逃げる際に酔ったラージューがやたらとジャ、ジャ、ジャと言っているのですが、これ、実はとても有名なインド映画の歌です。

それがこれ「Kabutar Ja Ja Ja」



和訳すると「鳩さん 行って、行って、行って」
内容は、恋しい人に伝書鳩が手紙(mail)を届けるというもの。
(この鳩が飛ばずに車に乗って移動したりして可愛いのでぜひ観てほしい。)

ピーメールと曲の内容を掛けている、インド地域の人かインド映画LOVEの人にしかわからない小ネタです。

『インド・オブ・ザ・デッド』というインドのゾンビ映画でもオマージュされています。

この曲を知ってほしいがためにこのブログを書いたようなもの……。(笑)



ラージュー自殺前のオペラソング

Time 1:51:15

何回も観ていると、このオペラソングなんだろう?と気になります。

この映画では、2回オペラが流れるシーンがあるんですが(つまり髭を剃るシーンが2回以上ある)、最初にウイルス校長を紹介するシーンで流れるオペラは、プッチーニ作『Tosca』の「星は光りぬ」。

ラージュー自殺前の印象的なオペラソングは、こちらもプッチーニ作『蝶々夫人』の「ある晴れた日に」です。

ファルハーンとラージューの進路が決まった故にウイルス校長の髭が剃られるシーンも「ある晴れた日に」です。

まあ、特に歌詞が関連するわけではないだろうと思ってます。
というか、いつも同じレコードかけてる?プッチーニシリーズなんだろうか。(果てしなくどうでもいい情報だけど…。)



ラージューの意識回復後にランチョーが配っている食べ物

Time 1:57:20

あれはラドゥーという、インドのお菓子です。
結婚式など、おめでたい時に食べる甘いお菓子なんです。
なので、ラージューが意識を取り戻したお祝いにランチョーが院内の人に配っています。
それを知るともっと泣けてしまう……。

『マダム イン ニューヨーク』という映画では、主人公の得意料理がラドゥーということでたくさん描写があるので気になる方は観てみてください。



結婚式の控室でピアとスハースが食べているお菓子

Time 2:14:40

これは「ドークラー(Dhokla)」という有名なお菓子で、ランチョーの出身地に近いグジャラート州のもの。

ピアが酔っ払ってランチョーたちの部屋に入ってきた時にも食べてましたね。

結婚式の日に元カレ(?)の地元のお菓子食べてるなんて、そりゃ未練あるだろうなあ。

まあスハースの部屋にも置いてあるし、主食にもおやつにもなるメジャーな食べ物なんですが。



チャトルの着信音

Time 2:46:46

ラストシーンでランチョーがチャトルに電話をかけると、チャトルの携帯電話からインドらしい着信音が流れます。

これはAirtelという、インド地域の携帯会社の初期設定時のコール音なんです。iPhoneのコール音みたいなものですね。
特に有名な曲を使っているわけではありませんでした。
ちなみにこの映画の公開が2009年、撮影はもっと前、ということでチャトルのバージョンは少し古いです。
ちなみにランチョーたちがPCで通話する時もAirtelを使ってますね。(他のインド映画でもこの音なので気になって……。)




以上です。

日本の映画が日本で育った人にしかわからない面白さがあるように、インドの映画もインドの人にしかわからない面白さがあるんだなあって、インド映画を観るたびに感じます。

でもそのわからない部分をそのままにしても、それを超える普遍的な感動があるんですよね。

つまり す・き!

はー、早く夏にならないかな、パンゴン湖に早く行きたいなという思いでいっぱいです。

yogoretamilk


イギリス・フランス・インドの合作。
1997年、あるグローバル企業がパキスタンで強引に粉ミルクを販売したことで、飲用した乳幼児が死亡する例が相次いでいました。
それを告発したセールスマンを取り巻く物語です。

ちゃんと、パキスタンでした。

言葉も、景色も、音楽も。

私は、音楽が心に残っていて、お涙頂戴の悲しい内容ではないのに、最後になぜか涙が出てきました。

それがこの曲です。



カバーもされている、パキスタンの有名な曲です。

映画の内容としては、グローバル企業と国の癒着への批判です。

見る人によっては母乳信仰につながりかねないと思ったのですが、杞憂でしょうか。

当時から20年が経ち、改善されているとパートナーは言っていました。

でも、主人公の彼と家族は、パキスタンでは生活ができないんですよね・・・。

映画データベースIMDbの評価が高く、「パキスタン批判の内容だとインド映画の評価が高くなる」というあまり笑えない話を聞いたのですが、実際映画を観てみるとそれは関係ないと思いました。

主人公を演じるEmraan Hashmiの演技が良かったことと、この映画が私たちに問いかける内容が評価されてますね。

合作ですが「インド映画」という枠組みの中で観てしまったので、その点は自分で失敗したなーと思いました。

当たり前ですけど、その枠組みを超えて評価される、良い映画です。

chinmoku


インド映画以外の映画も好きで、DVDで観るだけでなく映画館にもよく観に行きます。
『沈黙』は何も考えたくなくなるような映画でした。思考停止すれば楽、というか。

正直に言ってしまえば、イスラームの一分野を研究していた人間として、宗教は知っていても信仰は知らないのかもしれないと感じたのです。

私は、宗教を聞かれれば仏教徒と答えるくらいには仏教徒で、一人で曹洞宗本山の永平寺に行ったこともあるし、般若心経をそらで読めます。(小学生の時に親に言われて覚えたので、信仰よりも脳トレに近い効果だったと思うけれど……。)

でも漢検で学ばなければ優曇華も牛頭馬頭も知らなかったし、手塚治虫の『ブッダ』以外でブッダのことを知ろうとしたとか、経典や仏教の話を読みまくったとか、そういうことはしていません。

映画を観て、信仰を知らないかもしれないと感じたのは、仏教徒である明確な理由が無いと思ったから。

絵踏みを強制された時に、私はどう動くのだろうか。
自分の命を投げ打ってでも信じるものが私にはあるのだろうか。
と自分に問いかけたのです。
答えは出ていません。

ところで、私は神様を信じています。
神様を信じているというより、「自分や人間の力では操作できない、何かとてつもなく大きな力」が
存在していることを信じています。
それは信仰というよりも経験から得た実感だと思います。
何と表現すれば良いのかわからないので神様と呼んでいます。

先に仏教徒と述べたにもかかわらず相反するかもしれないことを申せば、神社にもよく行きます。
鳥居の前を通るときはできるだけ礼をして、時間があれば参道を通ってお祈りをしておみくじも引きます。
神様に応答を求めるよりは、「私は今こういう状態です。こうするためにどういうふうに頑張るので
見守っていてください。家族と誰々が健康でありますように。」という感じ。

映画『沈黙』の中で見た告悔という行為が、私の中には無いのかもしれないと思いました。

大学時代の研究でキリスト教の聖書を読んだ時に私はある章節に感銘を受けました。
「地の塩、世の光」です。
有名な部分ですし、青山学院のモットーとしても見たことがあります。

ちなみに、ニーチェの『ツァラトゥストラ』の中にも似た内容が書かれています。(と私は受け取っている。)

私は仏教徒であるけれど、神社には行くし、聖書の内容に感銘を受けたこともあるし、ニーチェの哲学に学んだりしています。

書きながら、よく自我が分裂してないなあと思ったのですが、これは単にそれぞれの良いとこしか見ていないからかもしれません。

原作『沈黙』の中で、ロドリゴは、キリストがユダに言った「去れ、行きて汝のなすことをなせ」が
わからずにいました。
そういった「判明しないこと」や「矛盾」に苦しむことも今の私の中にはないのです。
それらを考え抜く中で見えてくるものがあるのかもしれませんし、解釈の問題かもしれませんが。

「形あるものに信仰を頼ることは危険だ」とロドリゴが言っていましたが、この点に関しては『PK』と同じだなあと、インド映画脳の私は思っていました。

煩雑になってきたのでいったんこのへんで終わりに。

余談ではありますが、私が神社に行った時、ムスリムの彼も一緒でしたが、彼は祈ることはしませんでした。
食事の際、彼は豚を食べないし、お酒を飲むことも少ないです。
私は豚を食べるしお酒も飲んでいます。
見たことはないですが、彼が祈る時があれば私は邪魔をしないようにしたいと思っています。

私が生きる21世紀の日本は、それが許されています。
(彼の国で私と付き合うことができるかと言うと、宗教的と言うよりも慣習的に、完全に是とは言えない…。)

ともあれ、無知にあぐらをかかず、学び、間違えれば誤りを認め反省し、目の前の人を尊重する人間でありたいなあと思っています。

所感終わり。

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