PVR Cinemasにて『YOMEDDINE』を観ました。

2018年5月8日のカンヌ国際映画祭で公開され、順次各国でリリースされているアラビア語の映画です。

yomeddine

製作はエジプト、オーストリア、アメリカ。

実は今年の2月に行われたバンガロール国際映画祭にて上映されていたようですが、私の住むグルガオン、もといデリーNCR地域では8月23日からPVR Cinemasで公開されています。

珍しくハリウッド以外の外国映画が予定されており、予告編を観て興味を持ちました。

隔離されたコミュニティに住むコプト教の元ハンセン病患者Beshayと、彼を慕うムスリム孤児のObamaが、本当の「Home」を求めてエジプトを旅するロードムービーでした。



予告編

 



ストーリー

妻を亡くして一人になったBeshayは、自分を施設に置いて行った家族を探しに、ロバと少しの荷物を抱えてコミュニティから抜け出す。

Beshayを慕っていたObamaは彼の行動に気付き、道中を共にすることに。

つてもなく道もわからずお金も持たない彼らの旅路は平坦な道のりではないものの、その中で出会う人々の視線や態度に触れ、本当の家族、本当の家を少しずつ見出していく。



製作・キャスト

監督・脚本: A.B. Shawky(Abu Bakr Shawky)
Beshay役: Rady Gamal
Obama役: Ahmed Abdelhafiz

最初は親戚や友人を頼り、クラウドファンディングを始めて資金を集めたそうです。
KICKSTARTER - Yomeddin by Abu Bakr Shawky



映画の感想

想像していたよりもずっと素晴らしい映画でした。

今年観た映画の中でも一番心に響いたと言っても良いほど。

映画を観て私の琴線に触れたポイントは3つありました。

◆ハンセン病元患者の主人公

ハンセン病患者は、壁で隔たれた施設で生活することを強いられている現状があります。

主人公Beshayは、小さい頃親に連れてこられてからずっとそこで生活し、ゴミの中からお金になるものを集めて換金し生活しています。

Beshayは、ハンセン病は治っているものの、顔や手などに後遺症が残っており、その見た目がコミュニティの外に出たことで奇異の目にさらされ、本人がそれをとても気にするようになるんです。

お供をするObamaが作ってくれたネット付きの帽子で風貌を隠すようにしてBeshayは旅を続けていきます。

私はハンセン病の方に会ったことはなくそういった後遺症をまじまじと見たことがなかったので、誰かを見る私の目は、Beshayにとってのエジプトの人々の目線と同じなんだろうと思いました。

知らないから、関わりが薄いから、目の前にした時にまじまじと見てしまう。
私にとって、本人にとってそれが蔑視の気持ちを持たないとしても、その視線は気持ちの良いものではないだろうな。

◆コプト教とイスラーム

コプト教のBeshayとムスリムのObamaという組み合わせもポイントでした。
エジプトのコプト教の歴史に詳しければ見えるものも違うのかもしれません。

私はBeshayがモスクで受け入れられていることが新鮮でした。
宗教の違いからというより、何もなくとも人々を受け容れるモスクの役割を知ることになりました。

◆旅に意味のあるロードムービー

ひとつのコミュニティでずっと生活をしてきたBeshayが記憶を頼りに実家を目指し広大なエジプトを旅していく。

しばらく二人の旅路を見ていて、どうやってこの先生きていくのかと思ってしまうほど希望も未来も見えず不安になる瞬間があったんです。

それでもなんとかして生きていこうとする、生きていけるんだという力強さを感じさせられたし、あのラストで「なんて格好良いんだ」と映画を観ている人は皆心奪われたはず。

監督もこれを見せたかったんだろうと感じました。

映画の構成が良かった。あの軌跡を辿れたことが良かった。

ラストは映画館で観た8人で拍手でした。



インドでこの映画を観て感じたこと

私が、インドにいてハンセン病というワードで頭に浮かぶのはマザー・テレサでした。

マザー・テレサの活動を知っていても、インドのハンセン病患者・元患者の現状がどういったものか、というのはこの映画を観る前後に調べて初めて知ることばかりでした。

日本財団のウェブサイトなどにわかりやすくまとめられているので、興味があれば覗いてみてください。

・日本財団 ハンセン病~病気と差別をなくすために~

・ハンセン病制圧活動サイト「Leprosy.jp」


インドの都市部あるいは観光地にいると、物乞いをする人達をよく見かけます。見かけるだけではなく施しを求められます。

そういった人達の中には、病気などが理由で住居を追われコミュニティから排除され、都市に出ざるを得なかった人もいるのだと、今回知りました。

恥ずかしい話ですが、そういった人を見て「なんで都会に来たんだろう」「代々ここに住んでいるんだろうか」「田舎では稼げないから都会に出てくるんだろうか」とずっとただただ疑問に思っていました。

ちゃんと調べたことはなかったんです。そして未だに「理解している」とは言えません。

施しを求められても「裏に親玉がいるから無闇に何かを渡さないほうがいい。絶対に見られているし、せっかく渡してもお金は取られている。」という意見をインド人複数人から聞いていたので、それから私は毎回無視を貫いています。

インド人から聞いたことも事実のひとつであるだろうし、新たに知ったことがあるからと言って今後積極的にお金を渡していこうとは思っていません。

ただ、ひとつの実態を知ったので、これについて私にできることはないかと考え始めています。

最近、ボランティアやフィランソロピーを探していて、普段働いている私にも持続可能な活動があれば取り組んでいきたいと思っています。

目の前で日銭を求める人がいるのはわかっているけれど、その人ひとりをその瞬間だけ助けるのではなく、彼らのまわりに存在する仕組みを改善していく活動を何らかの形でフォローアップしていきたいというのが今の私の考えです。

* * *

インドにいるからこそ感じた思いとして他にも。

日本にいたままこの映画を観ていたとしたら、こういう世界があるのかと知ってインターネットで検索するだけで終わっていたかもしれないんですが、インドの状況に似ていたので余計に心動かされた部分がありました。

ISUZUのトラック、オートリキシャー、ゴミの山からお金になるものを拾い集め換金する人、トラックの荷台に乗って移動する人、人通りの多い場所で物乞いをする人、その縄張り争いをする人、道で寝ている人、雨風を凌げるとは言い難い場所で生活をする人。

日本にもホームレスになったり、同じ状況の人がいるのはわかっているものの、あまりの人の数の違いに、毎日のようにこの目で見ている世界が映画の中にあって、遠い国の出来事ではない、目の前で起きてることなんだと感じるほかありませんでした。

それを見るのが嫌だとか苦しいといった感情ではなく、同じことが私の住む場所でも起きているというその事実だけを感じました。

好きなジャンルの映画の傾向は変わらないし、日本で観たとしてもこの映画を好きになっていたと思うけれど、外国の映画の内容が現実として私の頭に下りてくる感覚は初めてでした。



日本でも公開してほしい

今のところ日本公開情報はありませんが、渋谷の単館系シアターが上映してくれないかな、と期待しています。

ついこの間、日本で、ハンセン病元患者家族に首相が謝罪したニュースがあったので、映画を観ながらそれを思い出していました。

ただ単純に映画として出来が良いので、楽しんでもらいたいなあという気持ちです。最後めちゃめちゃ格好良いので!



映画を観てその場で感じたことがあったとしてもいつの間にか忘れてしまうので、この映画を観たことはしっかり残しておきたかったんです。

観られるチャンスがある人には観てほしいな。