ダイアログ・イン・ザ・ダーク 外苑前会場「出発」を体験しに行ってきました。

ずっと興味はあったのに行っておらず、8月末でクローズすることを知ってから、急いでチケットを取りました。

そもそも、ダイアログ・イン・ザ・ダークとは、照度0の暗闇の中で、聴覚や触覚などを頼りにして、視覚以外の感覚を使って体験するエンターテイメント型のワークショップです。

もとは、Twitterで見たダイアログ・イン・ザ・ダークの記事で知ったんです。


その体験で私が感じたことをまとめました。

アテンドの方がハキハキしている

すごーくすごーく、ごく当たり前のことで、驚くことではなかったんですけど、思い出して最初に感じたのは「親しみやすさ」でした。

直接私たちを案内してくれる視覚障害のあるアテンドの方だけではなく、受付や案内をしてくれる方々もとても親しみやすく、待ち時間に「今回はどういうきっかけで来られたんですか?」など笑顔で優しく私に話しかけてくれました。


中は真っ暗

少し暗い場所から、照度0の暗闇に入っていくのですが、本当に見えません。

最後まで本当に見えなかった。

最後に暗闇から出た時にはちょっと明るさが辛いくらいに目が暗闇に慣れていたのに、見えることはなかったんです。


白杖便利。そして自分の足も便利。

中は白杖を使って足下や周りを確認しながら進みます。

白杖は、トントンと叩くように使うだけじゃなくて、滑らせて形状を確認することもできるんだと知りました。

そして自分の足の感覚も普段より敏感になっていたはず。

ちょっとした凹凸や、石なのか草なのか柔らかい場所なのかがわかるようになりました。

実は、常々、点字ブロックを使うと本当に進む・止まるがわかるのだろうか?と思っていたのです。

たまに歩いてみたりして、私だったらわかるかな~?うーんわからなそう……。なんて思っていたんですが、今なら言える!

わかります!!!

点字ブロック、わかるー!!!使えるーーー!!!

という感覚になりました。

普段の疑問が解消された、私にとってひとつの大きな収穫でした。


声の安心感

ある物を探す時に、9人がばらばらと行動したんですが、探すうちに皆から少し離れてしまった瞬間がありました。

確実に同じ空間にいるんだけれど、安全に皆の所へ行けるかわからない不安感が襲いました。

(そんな時こそ、声を出して、場所を確認したり自分の状況をアピールするべきだったんですが。)

そんな中でそのある物を見つけた声がして、そこへ向かっていって、皆のいっそう元気な声や近くにいるという身体の感覚を感じた時に、ものすごくホッとしたのを覚えています。


草の匂い、水の流れる音

施設の中では視覚が無くなる分、その他の感覚は敏感になるのでしょうか。

私は元々川のせせらぎの音が大好きだったり、雨の降る前や後のにおいが気になるので、敏感に受け取っているほうだと思っています。

でも、においや音で、自分がどういう環境下にいるかを判断できるのだな、ということに新たに気づけました。

(余談ですが、スマホばかり見ていると、信号が青から赤に変わった時って気付かなかったりしますが、人の足音や車の音が変わるのがわかる瞬間があって、それによって信号の色が変わったことがわかるので、目が見えなくてもそういう音でわかるんだろうなーと思っていました。そして、本当にそうなんだろうなー、と今思います。)


カフェ

暗闇の中のカフェでオーダーして飲み物を飲み味わいます。

私はジャスミンティーを頼みました。

香りがいつもより感じられたような気がしました。

真っ暗闇の中で、店員さんがお金を集めたり、グラスを運んだり洗ったり、おしぼりを回収したりしているのを目の当たりにして(見えないのに変な言い方ですが)、すごい!と思いました。

私はできないから……。

誰しも慣れというものがあるので、部屋の大きさや家具・物の配置を覚えれば、できるようになるのかもしれないけれど。

今にして思えば、飲み物を注ぐのだってどうやったのか……。

音で判断かなあ?あとはグラスの温度の変化とか?

暗闇のプロと素人が入り交じる空間で、安全を提供するという運営側の責任感というのも感じました。何様だって感じですが。


白杖の使い方

カフェで長椅子に座る時に、白状で長椅子と机の間をトントン交互に確認しながら進んでいったのが新しい気付きでした。

地面の形状や質感を確認するだけではなくて、物と物の幅を確認するのか!白杖、こういう使い方もできるのか!と驚いたんです。

まあ、歩く道の広さの確認に使うとは思うんですが、物というのが私の使い方の中に無かったんです。


出口へ

カフェの後は、目を慣れさせるための少しだけ光のある部屋へ移動して皆でお話しました。

もうこの暗闇から出てしまうのか、嫌だなあ、という感覚が私の中にありました。

それは、わたしがこれをエンターテインメントとして捉えているからというより、その暗闇での自由にもっと浸っていたかったから、という理由。

一時的な体験・エンタメとしてとても有意義で興味深いというのは、今こうしてブログに書いているから伝わると思います。

「自由」がどんなものかを説明するのは難しいけれど、少なくとも、視覚によって私(あるいは私たち)が受けるプレッシャーからの解放というのはありました。



話が少し逸れますが、私は大学時代にイスラームの研究をしていました。

イスラーム教徒の女性(ムスリマと言います)が被っている布に関して、不自由や抑圧と表現されることがありますが、彼女たちにとっては必ずしもそうではないということを知りました。

自分の外見によって人から判断されないという自由、と言えば良いのでしょうか。

それはあくまでも一つの面に過ぎませんが、そういった観点と同様に、ダイアログ・イン・ザ・ダークの暗闇も、他人からの見た目のジャッジを受けないという自由な場所でした。


私は、自分の見た目に対して劣等感があるかと言われれば、そうではないです。

自分のことは好きだし、自分の顔は好きだし、本当はもっと痩せないといけないけれど、ピラティスや食生活改善を頑張る自分のことが好き。

そんな私でも、自由を感じたんですよね。自分の気付いてないストレスに気付かされた思いです。


ただ、それはあくまでも私と他の人全員が暗闇の中にいたから感じたことかもしれません。

もし私が目が見えなくなったとしたら、私が「見た目」で人を判断することはなくなるかもしれませんが、相手から見た目で判断されるというのは続くかもしれないんですよね。


そういえば、アテンドしてくださった方が「傍からは、見えてないと思われないことが多い」と仰ってました。

白杖を使っていなければたしかにわからないかも。

でも、実際、全く目の見えない方には、例えば私と対面した時に、繕った私ではない私を見破られてしまうのだろうと思いました。


私は、このダイアログ・イン・ザ・ダークを知った時に、恋人と行きたいなと思ったんです。

でも、私の恋人は外国人で、普段の会話は英語で、日本語はほとんどわかりません。

ダイアログ・イン・ザ・ダークに英語バージョンの回があるのを知っていたのですが、今回の「出発」で英語の回はあったかなかったか忘れてしまいましたが、一緒に行くことは諦めました。

と言っても、運営側は少人数で来ることをおすすめしていたので、1人でも充分なことはわかっていたのですが。

実際に参加してみて、全員が日本人だったのもあり、同じ言語で理解し合うことが前提にあって密にコミュニケーションを取りながら協力していく形だったので、恋人には難しいだろうと思いました。

でも、もし次の開催があれば、恋人と英語バージョンに参加してみたいと思います。


そして、英語でない限り言語コミュニケーションが難しい私と恋人にとって、新宿で開催されているダイアログ・イン・サイレンスは一緒に楽しめるものだ!と嬉しく感じました。

(が、恋人の一時帰国に重なり、一緒に参加すること能わず……。)

ダイアログ・イン・サイレンスのほうも定期開催してくれるといいな~と思っています。


それからやっぱり、両親や兄弟、友人にもおすすめしたいです。

特に、私の両親は教員で、母親は特別支援学級の先生ということもあってか、コミュニケーション力がべらぼうに高いんです。

ダイアログ・イン・ザ・ダークの状況でもそのコミュニケーション力を発揮してみんなを引っ張るタイプなんだろうなあと思ったりしました。

見える世界と見えない世界とで人の性格って変わるんだろうか、というのも気になってきました。



最近人を思いやれていない自分がいたので、これをきっかけに、人にやさしくなっていきたいなあと思いました。