2022年3冊目、曽野綾子著『自分の価値』を読みました。

sonoayako

これは、曽野綾子さんがこれまでに書いたエッセイの文章を抜き出して、まとめて編集された内容になっています。

曽野綾子さんの本は家族が読んでいて、身近な誰かがあまり好みではないとか言っていたような気がする、というくらいの印象でした。

実は今日本に一時帰国していて、本屋さんでぐるぐる歩き回っていたらこの『自分の価値』を見つけました。

タイトルよりも、帯に
“「諦める」ことを覚えたら、ラクになる!”
と書かれていたので、そこが引っ掛かりパラパラめくってみて、文体は私にも合いそうだと思ったので買いました。

響いたポイントはたくさんありました。

人は、自分の思考や行動を守るために、静寂を侵されない自由があると思う。世間は実に多くの考え方から成り立っている。その個人の自由を守ることは、最低の礼儀だと言っていい。
私は一人でいる時間も好きなんですが、この「自分の思考や行動を守るために、静寂を侵されない自由がある」から、一人でいられる時間を望んでるんだなあと感じました。

相手の非を衝いて思いなおさせること。自分の行動の真意を理解させること。自分は相手のことを考えているとわからせること。そうしたことを一切、初めから諦めることの方が私にとっては、自分の人間性を保ち、穏やかな気持で生きられることを見つけたのである。友達に誤解されることも、身内の誰かと意思が通じないことも、最初から諦めてしまえば、どうということはない。
正論だなーと思う。そう思うけど、私にはまだできない気がする。そうしたいけれども。

内側にあって人からは見えませんが、確かに自分自身の軸となっているものです。人にどう思われるかではなく、私自身の軸がぶれずにそこにあればいい。それが私にささやかな平和を与えてくれるのです。
著者はクリスチャンで、これは信仰についての話です。
私はこの軸がどれだけ太くあるかなと考えたりしました。

どのような境遇の中でも、心を開けば必ず何かしら感動することはある。それを丹念に拾い上げ、味わい、そして多くを望まなければ、これを味わっただけでまあ、生まれないよりはましだった、と思えるものである。
自分の範囲のなかで慎ましく暮らしていけたら良いなと思っていただけなのに、私は何がこんなに苦しいのかなと思ったりしました。

「人間は弱いのが当たり前で、弱さという一つの資質を与えられているからこそ、強くなるためにどうしようかと考える。弱さは財産であり、幸運である」
これは聖書のパウロの話のようですが、キリスト教はこういう考え方もありますよね。
私は仏教徒の自覚がありますが、他のキリスト教の方のエッセイなども読むことがあり、学びが多いなと思います。

「これくらい我慢しよう」というのが、夫婦の愛情ですね。そのくらいがいいんです、お互いに。無理しなくてもいいんですよ。いい加減に、相手の目をくらましながら生きていくのが、私は好きですね、そのほうが楽しいですから。
寛大さは必要です。寛大さがなかったら、夫婦生活、結婚生活は地獄になります。いちいち目くじらを立てて、すぐに怒ったりして。
思う通りにいかないことを笑って楽しむような空気がないと、いたたまれないでしょう。
曽野綾子さんの夫も有名な方ですが、長年一緒に暮らしている方々の経験談は勉強になります。
そして日本の既婚者のだいたいの方は同じ考えに至るのだろうと思います。



正直、見つめたくない正論を書かれている部分もあるように感じました。
それはそうだけど、そういう風にできたら苦労しないよ~と言いたくなるような。
好き嫌いが分かれるのはそういった理由からかもしれませんね。

今は紙でなくても本は読めますし、Kindleなどでおすすめなども出てきますが、こうやってぐるぐる書店をまわって見つける本との出会いが本当に幸せだなあと感じます。

本屋さんが好きなんです。
インドにももちろんありますが、全部英語だし、気合を入れないと読めません。
せっかく英語で頑張って読んで、あまり合わなかった時、しんどくないですか……(笑)

コロナ以前は、日本人学校で本の無料配布などもあったので、またそういう機会が戻ってくると良いなと思います。

自分の価値 (扶桑社新書)
曽野 綾子
扶桑社
2021-10-31