2023年3冊目、ユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史(上)(下)』を読んだ。
2019年に日本語翻訳が出版され大きな話題となり、ずっと読みたかった本である。
昨年から読み始めたが、読むのに労力を要するというか、6ヶ月ほどかかり、感想をまとめるのにも長い時間がかかった。
著者は、エルサレムのヘブライ大学で歴史学を教えており、本書では、アフリカで暮らしていたホモ・サピエンスがどのようにして食物連鎖の頂点に立ち文明を築いたのかということを、知的革命、農業革命などを鍵にして紐解いていく。
私が本書から感銘を受けた点は3点ある。
1. 「虚構(想像上の現実)」によって人間同士の大規模な協力がなされたこと。
2. 歴史学科で学んだ一歴史学徒としての感動。
3. 外国人としてインドで暮らす中で感じる異文化の再発見。
前提として、本書は(校閲はあれど)論文として発表されたものではなく、著者の意見が自由に表現されうることは留めおきたい。
1. 「虚構(想像上の現実)」によって人間同士の大規模な協力がなされたこと。
7万年前から3万年前にかけて、それまでなかった新しい思考と意思疎通の方法が登場し、そのことを「認知革命」と著者は呼んでいる。
それは、虚構、すなわち架空の事物について語るこの能力こそが新世代のサピエンスの言語で特徴的だとする。
単に物事を想像するだけではなく、集団でそうできるようになったことがポイントであった。
神や国民、法人、人権や法律も、人類の共通の想像の中以外にはない。
この視点が私には大きな衝撃だった。
著者はプジョーを一例にしていたが、オフィスという建物などの物質はあるにせよ、会社は我々の中にしか存在しない。
神や宗教はわかりやすいが、私たちは想像上の現実を共有して生きている。
2. 一歴史学徒としての感動であるが、著者の言葉にときめいた。
私たちは、学校の授業科目に「歴史」があり、小学校から高校までは必修で学ぶものである。
私は興味があって大学でも歴史学を専攻したが、「それを勉強して何になるの?」と聞かれることは少なくない。
私はいわゆる先進国である日本で勉強し就職もできたのだが、インドで歴史学を専攻するということはお金を稼ぐことには繋がらず、言語道断、金持ちの道楽、くらいにしか捉えられないことなんだろう。
インドにいると、勉強は贅沢なことなんだなと思う瞬間は多々ある。
さて、私がときめいたその著者の言葉であるが、そのまま引用する。
私たちはなぜ歴史を研究するのか?物理学や経済学とは違い、歴史は正確な予想をするための手段ではない。歴史を研究するのは、未来を知るためではなく、視野を拡げ、現在の私たちの状況は自然なものでも必然的なものでもなく、したがって私たちの前には、想像しているよりもずっと多くの可能性があることを理解するためなのだ。
3. 外国人としてインドで暮らす中で感じる異文化を本書の中で再発見したこと。
住む地域が変われば、私の中での「こうあるべき」が通用しないことは日々感じている。
インドに住みインド人と共に生活し働いていると、この考え方や行動は、どこから来ているのだろう?と頭を抱えてしまうことは多い。それを知ることで自分を納得させたいと思っているからだ。
本書ではインドや日本に言及している部分もあるが、私はその箇所における再発見はあまりなかった。
(下)において、産業革命以前に言及している箇所がある。
産業革命以前、日常生活は「核家族」「拡大家族」「親密な地域コミュニティ」の中で営まれていた。
家族は福祉制度であり、医療制度であり、教育制度であり、建設業界であり、労働組合であり、年金基金であり、保険会社であり、ラジオ・テレビ・新聞であり、銀行であり、警察でさえあった。
さらに具体例が続き、それらが産業革命によって崩壊したとあるが、目から鱗が落ちたようだった。
なぜなら、私はインドのあらゆる環境やものごと、人々の行動が「西洋化」していないことによるものであり、私のような外部の人間から否定されて良いものではないと考えていたからだ。
世界がインターネットで繋がり、様々な変化を目にしやすい昨今、「日本は欧米に比べ遅れている」といった主張を目にしやすい。
変えていったほうが良いこともあるのは事実だが、右に倣えではなく、その地域独自の文化や慣習を尊重したほうが良い点もあると考えている。
そのため、インドの諸事は西洋化していないために起こるのだと思っていたが、それはすべて正しいわけではないのだと。産業革命によって英国を始めとして大きな変化が起こったが、それ以前にはどの地域でも現在私が目にするインドの出来事が発生していたのか、と気付かされた。
正直、それらの出来事というのはストレスを感じることのほうが多い。
インドには、国としての年金、福祉、医療制度というのは無いと言っても過言ではないだろう。
それを家族や親戚が支え合うため、人間関係は密にしておかなければいけないし、良くも悪くも「お互い様」の気持ちで接し続ける必要がある、というふうに私は感じている。
ただそれは、インドだから発生しているのではなく、反対に他の地域が産業革命によって変わってしまったんだという見方ができるようになり、気持ちが楽になった。(少しだけ。)
長々と書いてしまったが、歴史学科だった人や社会科の教員は読んでみてほしいし、これを読んだ人と語り合いたいと思っているほど気持ちが昂る良本だった。