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祖父が永い眠りについた。

突然の事故や病気 、新型コロナウイルスではなく、医療の力が無い時代であれば年齢による老衰に近いともとれるもので大往生だった。
新型コロナウイルスの影響により病院に入ることができず、いわゆる看取る行為というのはリアルタイムではなかったらしい。

インドと日本の間で定期航空便が停止している中、日本国外にいる者としては、次の便が発表されたら帰ろうと思っていた。今、その日程がわかっている。でも未だ結論は出せていない。

お通夜も告別式もとうに終わっている。

日本に帰国したとしても、2週間の自主隔離が必要となるし、果たしてそこから向かうとして「インドから来た人」が熊本の田舎に残る祖母にかける迷惑はどんなものだろうか。

こんな状況の、コロナ禍の唯一のメリットは、オンラインの可能性が普及したことだった。
弟の多大なる協力を得て、お通夜にも告別式にもオンラインで参加できた。
コロナ以前であれば、親戚や参加者、斎場からの理解は得られにくかったのではないだろうか。
もちろん、それであれば飛行機が飛んでいて隔離もないから帰国するのだけれど。
お通夜や告別式の最中に携帯電話の電源を切らず通話を続けることは、これまではなかなか常識的な行動ではなかったように思う。
火葬後の映像を残すことだって、コロナの影響で人数制限が無ければ難しかったはずだ。

儀式は、亡くなった本人のためでもあるし、残された私たちのためでもある。
きちんとお別れをしないといつまでも引きずることもある。
次に熊本に帰る時には、祖父はもういない。
ほとんど記憶のないご先祖様に手を合わせていたお仏壇に、祖父が加わっていることになる。

儀式だけではなく、準備や片付け、久しぶりに集まった親戚・知人との会話や思い出話。
そういったものを通して、故人と訣別した事実と向き合い心を整えていくんだろう。
それができなかった私はいつ戻っても同じかもしれないと思う部分もある。

日本への一時帰国はいいとして、その後インドに戻って来れないことが正直に言って怖い。
仕事も生活もどうなるんだろうと不安が募ってしまいそうだ。
事実どうなるかは置いておいても、体感として3ヶ月はインドに戻れない覚悟が必要だと考えている。

事後の様々な手続きや片付けを終えて、祖母が一人落ち着いた頃に会いに行けたら、祖母の寂しさが紛れたりするだろうか。
帰れない言い訳を正当化して考えてみたりする。

祖父との一番古い思い出は、6~7歳頃の机げんこつだ。
そうなった経緯は覚えていないが、門限に間に合わなかったからという理由だった気がする。
従姉妹と共に、リビングルームのテーブルでごっつんした記憶がある。
幼少期の私にとって、祖父は厳しくて怖い人だった。

そんな戦争体験者でゴリゴリの体育会出身、昭和の九州男児である祖父に感謝していることがある。
中高時代の多感な時期、人には言わなかったものの、私は自分の一重で細い目をあまり受け入れられていなかった。
そんな時期の帰省の最中。
キッチンに立つ私に祖母が「あゆみちゃんの目はほんとに素敵よねえ、ねえお父さん。」と言った。
するとダイニングにいた祖父は「おう、そうだな。」と迷いなく返事をしたのである。
私は心底驚いた。
祖父は、わかりやすく人を褒めたり認めたりするタイプの人ではなかったからだ。
歌を歌っていると「あゆみ泣いとるんか。」と皮肉を言われたことがあったりしたのだ。
祖母は素直な人なので普段から私のことを凄いねえ、頑張ってるねえと言ってくれるのだけれど、そうではない祖父からありのままの自分を認められたということに大変驚き、嬉しかったことをよく覚えている。
この出来事が私の自信に繋がっていることは間違いない。

私が最終的に進学先を明治大学に決めたのは、祖父の母校だということが理由のひとつだった。
祖母によると、祖父はたいそう喜んで言いまわっていたらしい。私の前ではそんな素振りは一切見せなかったけれど。

スマートフォンやタブレットが普及する前、幼い頃の祖父母とのやり取りは手紙だった。
私の育った家は東京にある。その家に帰って祖父が達筆をふるった手紙を読めたら、祖父との思い出がより鮮明に甦ってくるんだろうな。




おじいちゃん。

私は108歳まで生きる気持ちでいるので、もし次に会えるとしたら80年後ですね。
私はおじいちゃんたちたちの結婚式のイメージが影響しているからか、結婚式は和装が良いなとずっと思っているんです。「私はきっと凄く似合う」と自分で思っています。

最近は、インドにココイチという日本のカレー屋さんがオープンしたり、インドの1日間のコロナ新規感染者数が世界一になったりしました。レバノンでは大変な爆発が起きたりもしています。インドも世界もどうなっていくのでしょう。

今度熊本に帰った時には、私が読経する姿を、おじいちゃんは違う所から見ることになるんですね。
そういえば、おじいちゃんのお通夜や告別式は浄土真宗でしたね。
お坊さんが「南無阿弥陀仏」と唱えていましたが、この南無という言葉、現代のインドでもよく目にする単語なんです。阿弥陀という単語もインドの単語から来ています。つながりを感じますね。
せっかくインドにいるので、インドと仏教のつながりをもっと話せていたら良かったです。でもなんだか縁起でもないような気がして言えませんでした。
浄土真宗の場合は、死んだらすぐに仏様になると言われていますがどうですか。
私はなんとか生きていけると思うので、どうかおばあちゃんを見守っていてください。