2022年6冊目、遠藤周作著『影に対して』を読みました。
「母さんは他のものはあなたに与えることはできなかったけれど、普通の母親たちとちがって、自分の人生をあなたに与えることができるのだと――それを今はあなたにたいするおわびの気持と一緒に自分に言いきかせているのです。アスハルトの道は安全だから誰だって歩きます。危険がないから誰だって歩きます。でもうしろを振りかえってみれば、その安全な道には自分の足あとなんか一つだって残っていやしない。海の砂浜は歩きにくい。歩きにくいけれどもうしろをふりかえれば自分の足あとが一つ一つ残っている。そんな人生を母さんはえらびました。あなたも決してアスハルトの道など歩くようなつまらぬ人生を送らないで下さい。」
『影に対して』で母から息子の勝呂に伝えられた言葉だ。
本書『影に対して』は、没後24年を経て発見された『影に対して』と、すでに雑誌で発表されていた6作から構成されている。
どの作品も、遠藤周作の母に対する愛憎まじりの執着を感じる。
実際の家族構成や居住についてはフィクションが加えられているものの、「ああこれは遠藤周作の人生、私小説だろう」と理解するのに難くない。
冒頭に紹介したアスハルトの道と海の砂浜の話は、一見格好良い、心に響く言葉である。
しかしながら、次第に、その言葉は私には呪縛に感じられて仕方がなかった。
父は、母からすれば安全な道を歩いた人かもしれなかったし、息子にはそうなってほしくないと、海の砂浜を歩く私(母)のようになってほしいという強い願いがこもっているように感じられた。
人間の性として避けることは難しいかもしれないが、親が子にこうなってほしいと思うことはあれど、これが正しい道だと言ってしまう、それを長年に渡って期待してしまうことのなんと重いことか。
遠藤周作は、複数の作品に渡って、書くことで、自身の信仰であるキリスト教と向き合い、そして母と向き合っている。
私はまだ母になったことがないため、妻の立場でしか考えられないが、こんなに生涯母への執着を募らせる夫の妻を務めた遠藤順子さんへの感動すら覚える。
子の立場として、私は、25~26歳の頃に悵恨の終焉を迎えた。
それは私が家族と話すことができたからであり、家族がその私を受け入れてくれたからである。
きっと遠藤周作は、母の早い死によりその機会が奪われてしまったし、父との確執が深まるばかりだったのだろう。
我々が生きている今を大事にするということは、そういった苦悶や後悔、憎しみや恨みを昇華させる機会が与えられていることに気付くことでもある。人生のうまみは、単に楽しく感じる時間だけを増やすことにあるのではないのだと思わされる。
本書は、私には、遠藤周作の念を感じる重い本だった。