去年の3月から、英会話スクールに通っています。
私の24歳の時のテーマが「Action!!」で、英語学習がやりたいことのひとつだったので、やりたい内容をマンツーマンでできるスクールを探しました。
英語をちゃんと学び始めて、自分の英会話に対する抵抗感が減ったのか、自然と英語で話す友人ができるようになりました。
彼らとの交流の中で、発見があったんです。
彼らは、私の話す拙い英語を、一度も笑ったことがありません。
私が「How should I say...」と言ってしどろもどろになっても、じっと聞いてくれるんです。
それが、単純に、嬉しかったんです。
間違っていても笑われないことが。
伝えようとした中身を評価してくれることが。
そして、私がやりたいと思っていることや挑戦したいことを話すといつも「いいね!」と言ってくれるのです。
やり始めると、鋭い指摘をくれたりもします。
もしかしたら、他人は私の人生の責任を負わないから気楽にそう言えるんだよ、と言う人がいるかもしれません。
でも、それまで私に届く声は「そんなの無理だよ」とか「あなたが?」「どうせすぐ飽きてやめちゃうんでしょう」という、心に生えたワクワクの芽を萎れさせるようなものが多かった気がします。
直接それを言われたこともあるし、私が感じる周りの空気がそういうものだったのです。
そんな中での彼らの「いいね!」だったのです。
私のことを否定しないから、私は彼らに自分の考えをどんどんオープンに話せるようになりました。
もちろん、英語で会話する友人に限らず、今までの友人たちとの素敵な関係も影響しています。
でも、時々たまに、頑張る人を嘲笑する瞬間に出会うことがあります。
「まだそんなことやってんの?」
「あーあれでしょ。ウケるよね。」
その瞬間が、少し辛い。
「なんで笑うの?」と言えない自分が悔しい。
それは
「笑うところだから」
「愛のある笑いだから」
「笑わないほうがシラケるから」
という理由なんですよね。多分。
そしてまた、その状況がわかってしまうんですよね。
そんな瞬間もありながら、今は、これまでの出会いの良いとこ取りをしたものが、私の心の中に集まって安定している感覚です。
私は、「いいね!」と言われて嬉しかったから、私も誰かに「いいね!」と言える存在でいたいと思うようになりました。
趣味でも、仕事でも、自分磨きでも、なんでもいい。
好きだなあ。楽しいなあ。頑張りたいなあ。やりたいなあ。
そう思って取り組んでいる人を、私は笑わない。応援する人でいたい。
もし失敗したとしても、途中で挫折したとしても、挑戦したんだから。
私は、その挑戦を一緒に喜べる人間でありたい。
頑張る人を笑わない文化をつくる人間になりたい。
英語の学習から、こんなことを思うようになったのでした。