パンゴンツォへの道のり

インドのパンゴン湖に行きたい。 インドのグルガオンで働いています。

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前回の読書メモからかなり時間が経ってしまいましたが、2023年2冊目、大愚元勝著『自分という壁 自分の心に振り回されない29の方法』を読みました。



著者の大愚元勝という方を私はYouTubeで知りました。
一番最初は「義家族と同居」といった内容をYouTubeで検索して出てきた動画でした。



まあこれはこれとして、それ以外の動画もたまに見ていたんですが、夫婦関係に悩む妻の相談への回答の中で
「離婚か、自分が我慢するかの二択じゃないんです。人は変わるんです。」
という話に私はハッとしたことがありました。

そういったことがあり、日本一時帰国中に書店でこの本を見つけたので読んでみようと思ったのです。

内容としては、とりわけマイナスな感情に対しての在り方を、仏教の考えを通して話していく口語の読みやすい本でした。

相手に対して不満を感じたところで、あなたが成長することはいっさいなく、ストレスにしかならない無駄な感情ということです。
軽蔑は、私たちが生きるうえでまったく必要のない感情です。
修行とは、「耐える」ことではなく、「習慣化」すること。

私は結婚生活を人生の修行だと思っている部分があるのですが、この「習慣化」というのはピンと来るワードでした。

最近、この本は日本に持って帰るか、インドに置いておくか(知人にあげる等)と考えながら選択して読むことがあるのですが、この本は当初の自分の予定とは反対に手元に置いておきたい、日本に持って帰ってたまに読み返したいなと思いました。










もう5月になってしまいましたが、2023年1冊目、本多静六著『私の財産告白』を読みました。

Twitterでこれを読んだ方のツイートが流れてきて、興味を持ったのでコミックシーモアで買って読んでみました。199円。

hondaseiroku


そもそも本多静六という方は、専門を農林・公園等の開発とし、現在の東京大学の教授を務めた人です。
けして裕福とは言えなかった状況から、投資で富を築き、しかもその財産のほとんどを寄付しています。

この本では、貯蓄と投資の方法について書かれていますが、それ以外の彼の人生の学びも記されています。
人生即努力・努力即幸福」といった人生観が軸にあることが印象的でした。

私が覚えておきたい部分を抜粋します。

貧乏に強いられてやむを得ず生活をつめるのではなく、自発的、積極的に勤倹貯蓄をつとめて、逆に貧乏を圧倒するのでなければならぬと考えた。
そこで断然決意して実行に移ったのが、本多式「四分の一天引き貯金法」である。
~中略~
いくらでもいい、収入があったとき、容赦なくまずその四分の一を天引きにして貯金してしまう。
そうして、その余の四分の三で、いっそう苦しい生活を覚悟のうえで押し通すことである。これにはもちろん、大いなる決心と勇気が必要である。
貯蓄分を先に抜いて、それで生活しようというのは(現代においては)わりと普通の考え方だと思いますが、苦しい生活を覚悟し、家族にも展望を共有し、決心と勇気をもって成し遂げたところが凄いですね。

貯金の問題は、要するに、方法の如何ではなく、実行の如何である。
ところで、私のやり方をさらに詳述してみると、「あらゆる通常収入は、それが入ったとき、天引き四分の一を貯金してしまう。さらに臨時収入は全部貯金して、通常収入増加の基に繰り込む」法である。これを方程式にすると、
貯金=通常収入×1/4+臨時収入×10/10」
ということになる。
実行の如何、というのがもうその通りとうなずくしかありませんでした。
クラブハウスを解約したので敷金の返却があったんですが、やったーと思って外食に使った私よ……。

「使うには使われろ」という言葉が昔からある。これは、人を上手に使うには、自分自身まず使われる体験を持たねばならぬという意味と、また使う者は使われる者の身になってすべてを考えよという意味の二つが含まれているようである。さらに徹底した解釈では、人を使うのは、結局人に使われるのだというのである。したがって、人に使われること最もよろしきを得たものが、また人を使うに最もよろしきを得るわけになろうか。

これは仕事論ですが、それぞれの立場の人の仕事を知っていることでやりやすくなることは多々ありますね。

仕事を道楽化する方法はただ一つ、勉強に存する。努力また努力のほかはない。
なんでもよろしい、仕事を一所懸命にやる。なんでもよろしい、職業を道楽化するまでに打ち込む、これが平凡人の自己を大成する唯一の途である。

本の中で日本史の教科書で見た名前が出てくることや、こういった考え方や気合の入り方、それを当然と思えることが、戦前の生まれで戦後を立て直してきた人たちというのは違うなあと感じ入る点もありました。

今年はどげんかせんといかん、と思って、定額積立預金を始めました。利子は7.1%です。
また、個人で10年家計簿をつけてきた私でしたが、諸事情あって手をつけていなかった家庭の支出に関しても、私が主導権をもってまずは把握することを始めました。

インドでは、ジョイントファミリーと呼ばれる形態の住み方が多数を占めます。
祖父母世代との同居のみならず、親と親の兄弟、その子どもたちと一緒に住むのです。
そのため、10人ほどで一緒に住んでいるような状況は珍しくありません。
(グルガオンや都市部が核家族化していて珍しいだけで。)
そしてそういう形態の住み方で家計管理ってどうやっているのでしょう……。
まあ他人なのでいいのですが、なんかこう、その場その場で他人を頼って生きる(言ってしまえばそれで生きられる)ので勝手に心配になることもありますね。
いつかその影響がこちらまで響いても動じずに手を差し伸べられるよう大きくなりたいなと思います。



私の財産告白 近代経済人文庫
本多静六
千歳出版
2022-11-25




2022年12冊目、堀江貴文著『多動力』を読んだ。

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2017年頃に話題になっていた本ですね。
会社の建物の本棚に置いてあったため、借りて読んでみました。
1時間もかからずに読めると思います。

著者は(最近は?)自分で本を書いていないことを公言しているため、著者に関するウェブ記事などをよく読んでいる人にとっては、目新しい意見ではないように感じました。

ただ、実際に行動している人の思考なので、私も自分の頭の中を整理して前進していかなければいけないなと思ったりしました。

ということで、覚えておきたい部分を引用。

・あなたの肩書きを紙に書き出してみよう。
・欲しい肩書を理想で良いから書いてみよう。
・では、その肩書を手に入れるにはどうしたらいいか。1万時間を捻出するための計画を具体的に立ててみよう。
いつかブログにも書いてみようかと思ってはいますが、副業をしていて、それを本業に変える意欲や行動力、継続力が私にあるか?と自問自答する日々です。
ちなみにブログは趣味でお金にはなっていません。

・準備にかける時間は無駄である。見切り発車でいい。すぐに始めてしまって、走りながら考えよう。
・一番わかりやすいのは、あなたが会議でした発言が一人歩きして、多くの人間を動かしているか?と考えることだ。
・あなたの発言やアイデアに、あなたが知らない人までもが熱狂し、働く。そういう仕事をするように意識しよう。
これもいずれブログに書きたいと思いますが、ニーチェの「始原の運動であるか?」ということを意識して生きています。
最近は疲れを言い訳にして非常に弱気になっているような気がしますが、こういうエネルギーのある仕事の仕方を心掛けたいですね。

・本音で生きればストレスは溜まらない。言いたいことを言って、食べたいものを食べて、寝たいだけ寝よう。
・リーダーは馬鹿でいい。いや、バカだからこそ、リスクを考えずに手を挙げられる。あなたが手を挙げれば、小利口な人間が必ず手助けしてくれる。勇気を出して、手を挙げるバカになろう。
大学時代の教職ゼミで教授から言われてから意識しているのが、「ファーストペンギンになろう」ということです。
天敵がいるかもしれない海に、餌を求めて最初に飛び込んでいくペンギンのことを指しています。
「我々はあまり頭が切れるタイプの人が入る大学ではないため(日本人的な控えめな発言と受け取ってほしい)、まず行動する人間になったほうが良い」ということ。
面倒かもしれないことやできるかわからないことでも、とりあえず引き受けてやってみるようにしています。

・予定表を広げてみよう。どうなるか予想もつかない予定はいくつあるか。
・先週も先々週も同じような予定を過ごしてはいないだろうか?
・未体験の予定をつめこんで、見たことのない景色を見よう。
ルーティーンを作ったほうが良いかなと思っていました。
ストレスを減らすためにルーティーンもあったほうがもちろん良いと思いますが、イレギュラーな未体験の予定を意識して立てていきたいですね。



多動力 (幻冬舎文庫)
堀江貴文
幻冬舎
2019-04-10



2022年11冊目、 佐々木美佳著『タゴール・ソングス』を読んだ。

tagoresongs

これは、ドキュメンタリー映画『タゴール・ソングス』の取材・撮影中に出会った人々の物語だ。
佐々木美佳監督が、監督自ら本として書き下ろしたものになる。

私は、この映画が公開された時にはすでにインド在住で、この映画は未だ観ることができていない。
そんな立場で理解できるのか自分で疑問に思っているが、記録は残しておきたい。



まず、これを読んで、タゴールという人の存在を強く意識し始めた。
本書で日本語に訳された詩が非常に美しく心惹かれる。
タゴールは、インドの国歌「ジャナ・マナ・ガナ」の作詞作曲をした人としてぼんやりと知っていた。
しかし、彼がノーベル文学賞を受賞していたり、多くの曲を作っていたり、また、バングラデシュ国歌の作詞までしていたとは全く知らず、この本を読むまでそこに興味関心が至らなかった。
俄然気になり始め、YouTubeで「Tagore Songs」を検索して聴くなどしている。
彼の詩集『Gitanjali』を読みたいとAmazonで探したりしている。




そして次に、日本からの発信が、私のインドへの興味を増幅させてくれることに、非常に有難い気持ちになった。
インドに住んでいると日々を生きるのに精一杯になり、目の前のことを乗り越えることや今すぐに役立つ知恵に目が向きがちになる。
すでにそこにある美しい文化に心を寄せる余裕が無くなってしまう。
タゴールやこの物語はベンガル地方がメインではあるものの、同じインドのこととして、今まで気が付いていなかった魅力を私に教えてくれるものとなった。

旅行先リストに無かったコルカタに行ってみたくなった。

タゴール・ソングス
佐々木 美佳
三輪舎
2022-02-28


2022年10冊目、中井俊已著『マザー・テレサ 愛の花束 身近な小さなことに誠実に、親切に』を読んだ。

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この本はずいぶん前に日本で購入し、インドに関連しているからと持って来ていて積ん読になっていたものだ。
私は、マザー・テレサのことを小学館の学習まんがで読んで知っていた。
小学校の図書室にたくさんの伝記まんががあったため、当時、端から端まで借りて読んだ。
その中でもマザー・テレサの伝記は印象的で、今でもその漫画の絵を思い出せるくらいだ。

本書は、マザー・テレサの生い立ちとともに、言葉や考え方を紹介している。
冒頭で、渡辺和子さんの推薦の言葉が書かれており、興味を持った。

渡辺和子さんは、ノートルダム清心学園理事長だった方で、著書『置かれた場所で咲きなさい』が有名である。
本来は先生やシスターと呼ばれる方なのかもしれないが、私は接点もなく師事しているわけではないため、一作家として見ている。
著書『面倒だから、しよう』の中で、こういった一文がある。
「親しさというのは開示性の度合いでなく、相手の独自性を尊重する度合いです。お互いが一個の人格であるということを認め合う。そこには淋しさ、孤独があります。しかし、その孤独を澱まで味わって飲み干すことが私たちの成長のためには必要なようです。」
これに強く感銘を受けた。私の哲学の一つの軸となっているほどだ。
そういうわけで、この本を読んでみようかと思った次第だ。

正直に申し上げると、本書は非常に宗教色の濃い内容となっている。
医療事業や持続可能なビジネスとしての活動ではなく、あくまでも神に仕える宣教者としてのマザー・テレサの姿が見える。
多少なりともマザー・テレサの活動を知ってはいたものの、これは伝記まんがでは薄まっていた彼女の信仰心を強く見せつけてくる。
強烈である。

インド国内では、マザー・テレサは有名であるものの、日本ほど評価が高い印象はない。
コルカタの話題になっても名前は出てこない。まわりにいるインド人とマザー・テレサの話をしたことはない。
インドの中ではキリスト教はマイノリティだからだろうか。

マザー・テレサ自身は、彼女の行ったことの評価などどうでも良いだろう。

評価はどうであれ、私が感じたことは、実際にインドにいて同じ状況を見る私がしていないことを彼女はやった、ということだった。
インドでは、路上で寝ている人をたくさん見かける。
駅下などで横になっている、生きているのか死んでいるのか(おそらく生きているのだろうが)わからない人の横を車で通りすぎるのが日常である。
何をしているのかわからない子どももあちこちにいる。
気になる。とても。けれど私は通り過ぎる。
そこを彼女は通り過ぎなかったのだ。
神と隣人に仕え、祈り、自分に与えられた使命を全うする。それをただ行っていったのだ。

ところで、インド生活で積み重なる小さなストレスとして「声をかけられる」ことがある。
大きく分けて4パターンだ。
1. 路上でのオートリキシャーの声掛けやスーパーなどで受ける営業
2. 信号や高速の料金所で止まる際に車に寄ってくる本やココナッツ、タオル売りなどの営業
3. ヒジュラからの金銭の要求
4. 同情で買わせる物売り(物乞い?)

正直疲弊する。優しく「No」と言える時ばかりではない。
3のケースは無反応でいるとこちらを叩くように触ってきたりして正直怖いし、4は同情でペンなどを買わせようとしてくるしもう少しこのグループのボスは売る商材を考えてくれと思う。

きっと、マザー・テレサの時代も同じ状況ではあっただろう。
その状況でも、きっと彼女はほほえんでいたのだろう。
私は、私を疲弊させると感じるほどの相手にも、ほほえみを返せるだろうか。
たしかに、ほほえみを与えても私たちから減るものは何もない。
私は何を拒んでいるのだろうか。
少しだけ自分の在り方を見つめ直した。


マザー・テレサ 愛の花束 (PHP文庫)
中井 俊已
PHP研究所
2007-12-03

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