ゴア旅行3日目です。
この日はもう帰るだけなので、何もせず過ごしました。
朝、端から端まで歩いてみようかな~と思ったものの、ホテルから端まで行って疲れたのですぐに部屋に戻りました。
私が選んで夫が買ってくれたものの、北インドの夏が終わり着れずにいたチカンカリ(チカン刺繍)のサリーを着てみました。
パリッとしたサリーだと着付けにまだ時間がかかりますが、このサリーはサラッと10分ほどで着付けができるように。
朝食は、一番豪華なプレートを頼んでみました。
チーズが乗っているコロッケみたいな食べ物が美味しかったです!
ランチにはエビをオーダー。
殻付きだと、より美味しそうに見えますね。
ゴアは、温暖な気候からかフルーツジュースも充実していて美味しいのでぜひ試してみてください。
ちなみに、ゴアの空港にあるショップで売られていたこのマサラカシューナッツ、予想を裏切りとんでもなく美味しかったので、ゴアに行った際にはぜひ買ってください!オススメ!
でも、これRs.650もするの?!(笑)美味しいけど!
さて、ここで、ゴアの印象をまとめておきたいと思います。
・歴史的には長崎、雰囲気はド派手な宮崎
私は熊本に住んでいたことがあり、長崎も宮崎も複数回行ったことがあります。(あるはず)
そのため、イエズス会が宣教活動に来ていたことと歴史的建造物が残っていること、現在も教会がたくさんあること、クリスチャンの割合も高いことなどから、歴史の上では長崎っぽいなあと感じました。
土地や街全体の雰囲気は、宮崎っぽい。植生やビーチの様子からそう感じました。
・ポルトガルVSインド
ゴア内を移動していると、ポルトガル風(?)というか洋風の建物を何度も見かけました。
あまりにもボロボロになっていたり、完全に閉鎖されて現在は使われていないような建物もちらほら。
長崎にあるグラバー園のように、もしくは神戸にある北野異人館街のように、建物や街並みを整備して観光利用したりしないのだろうかと思っていました。
なぜ無いのか調べてみたところ、ゴアがインドによって接収された時に、インドとポルトガルの間で和やかに話し合い返還したのではなく、ポルトガルは自衛、インドは総攻撃を行ったそう。
その際に、ゴアにあった多くの文化財が破壊されてしまったとのこと。
征服した側の遺構なんぞ何の価値もないというのも、征服された側からすれば当然の見方かもしれません。
私が安直だったなーと反省する点もありました。
まあ、インド政府が、歴史・文化に対する保護や金銭的サポートが薄いというのも理由のひとつではあると思いますが。
・日本人には嬉しい食環境
私は食べなかったものの、魚なども豊富にあり、新鮮な海産物を楽しめる場所です。
また、他の州に比べると酒類が安いというのも確かにメリットではあると思います。
ただ、海産物は生で食べられるわけではないことと、調理方法が異なる(日本食ではない)ので、毎日食べるようなものでもないかな……。
・冬(乾季)の今がシーズンで、夏(雨季)はオフシーズン。
これは興味深い違いでした。
夏の暑い時期が海のシーズンだと思いがちですが、ゴアというかインド亜大陸では少し事情が異なります。
おおむね3月から気温が上がり、4月~6月は40℃を超えるような真夏、ゴアの地域は7月~9月は激しい雨に見舞われます。モンスーンです。
そのため、10月~2月頃が観光のハイシーズン。
インドにもリゾートバイトのような働き方があり、そういったハイシーズンの時にゴアに来て、それ以外は地元や都市部で稼ぐといった働き方があります。
インドでは、日本でいうアルバイトのような形態は珍しいため、リゾバと形容してもフルタイムの仕事ですが。
・インド南西部なのに、ヒンディー語圏(英語も)
インドは広く、28の州と8つの連邦直轄領があり、22言語が公用語として使用されているも、実際には400以上の言語が使用されていると言われています。
ヒンディー語圏とされているのは北インドですが、そこから飛行機で2時間半も離れたゴアにおいても、当然かのようにヒンディー語が通じました。
店員さんが観光客と会話できるのはわかるのですが、街中の案内看板などもヒンディー語が併記してあることに驚きました。
ポルトガル領だったため、ポルトガル語が残っているならわかる気がします。
欧米系の観光客が多いので、英語の表記もなんとなく理解できます。
しかしここでヒンディー語なんだ、という気付きがありました。
やはり冬がある北インドのヒンディー語圏からやってくる人たちが主要顧客だからでしょうか。
そのあたりの経緯も気になるものです。
ゴアは、歴史観光も良し、ゆっくりビーチで過ごすも良し。
ぜひインド旅行の行先の候補にしてみてください。