人生には節目がある。

わかりやすいところだと、学校の入学、卒業。就職、退職。

日本は義務教育期間があるので、学校の卒業まではだいたい人と同じ時間軸だが、例えば大学を卒業した後の人生は本当に人それぞれとなる。

そしておそらく人生の大きな節目と捉えられるイベントが目前に迫っている。

結婚だ。

自然に出てきたタイトルは独身に焦点を当てたもので、現時点での私の気持ちとしては、未来へのワクワクよりもこの生活が終わることへの寂しさみたいなものを感じている。

ただ、私の独身生活はそう長くない。

おおむね22歳頃から、実家で一人暮らしをしている。(親は別の家に住んでいる。)
それまでは、家族で暮らしていたので、「独身生活」を意識したのは一人暮らしをしてからだろう。
なので約8年間の独身生活に終止符を打つことになる。

楽しかった。
お金がなくて贅沢できない時もあったけれど、全部自分で決断して自分で責任を取ってきた(つもり)。

実家を空き家にしてまで突如決めた、六畳一間の渋谷駅徒歩圏での憧れの都会生活はきっといつまでも忘れられない。

なんでも自分で決めて、自分でおケツを拭いてきた。



でも、結婚したらそうはいかないんだろうな、と思うことがたくさんある。

自分の考えだけでは決定できない事柄が増えるんだろうし、24時間365日自由を謳歌できるわけではないのだろうな、と思っている。

(お互いの独自性を尊重し合うカップルもいるのだろうことは想像がつくけれど。)

それでも、現代人の多くが「結婚」という手続きを選択をしている。



結婚を意識し始めてから、「結婚」を選択した人たち全員を尊敬し始めた。

こんなに喧嘩して、そのたびに(納得はしていないにせよ)解決点を見つけて、一緒にいる選択をし続けてきているのかと。

それから、結婚からの同居ということに関しては、私の親と祖母への感謝の念が溢れ出てきた。
私は当時、「(選択できない)私ばっかり辛い」と思っていたけれど、母には母の、父には父の、祖母には祖母の大変さがそれぞれあっただろうなあということをやっと実感できた。
心の中に、ごめんなさいとありがとうが連なる。



私は、自分の人生を誰かのせいにしたくない。
学生時代、父親に「成功」というワードを聞かされる度に、いらだちを覚えた。
私にとっての「成功」の定義は「自分の人生を自分で決められること」だった。



結婚をするという決断は、自分で決めたこと。
だけど、これから先の人生は全てがそういうわけにもいかなくなるんだろう。
好きな時に好きな場所で生活を営むことができない、という点でも。



私は自分の意志でインドに来た。
だけど、ロックダウンが長く、コロナの脅威が収まっていないことから、私がインドに来た理由でもある「旅行」「映画館」がまったく楽しめていない状況が続いている。
インドであることの意味、インドにいることの意味、を考えることから逃れられない。
私は、国やVISAの観点から「インドにいる権利はあるけどいなくてもいい」人間なので。
もちろんパートナーがここにいて、今のところはここに住む選択をしているので、住み続けることにはなるのだけれど。



正直、儀式の日程が決まってからずっとパートナーと喧嘩をしていて、なんならプロポーズの時から、いや、去年の終わりくらいからずっと喧嘩しているような気持ち。
旅行には一度しか行けていないし、映画館に行けるようになったと思ったらすぐに2回目のロックダウンになってしまった。
相手とのハピハピな思い出よりも、話し合いをした出来事のほうが容易に頭に浮かぶ。



でも、簡単に思い出せる大喧嘩の先に、話し合いを終えた後の相手の笑顔やハグ、根気強く向き合ってくれる相手の優しさがあるからここまで一緒に歩いてこれたと思う。

彼と共に歩んでいくこの先の人生がどうなるか、本当に本当に予想がつかないのだけれど、この忙しい日々が過ぎて、結婚の儀式と新婚旅行を終えたら、少し前向きな気持ちになれたりするように思える。

ひとまずは、儀式で着る予定のレヘンガやおめかしを楽しみに気持ちを上げていきたいと思います(笑)



P.S.
ちなみに、日本の書式の婚姻届を書く機会が無くなりました。ちょっと憧れてたけどね……。