パンゴンツォへの道のり

インドのパンゴン湖に行きたい。 インドのグルガオンで働いています。

タグ:遠藤周作


2024年2冊目、遠藤周作著『海と毒薬』を読んだ。

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高校の時の毎月の課題図書のひとつだったものの、その時は読了せず、課題図書のテストも散々だった思い出がある。

今回読もうと思ったのは、ブックオフで見つけたことと、現在の私が遠藤周作ファンになっていたからである。

有名な『沈黙』、『深い河』や『影に対して』を読み彼の人生を追いかけている私としては読んだほうが良いだろうと思った。 

日本で購入してインドに持って行ったものの読まずに終わり、もったいなく感じたのでインドから日本に向かう飛行機の中で一気に読んだ。

正直、この感想文を書けと言われたら私には相当難しい、いや、書けないと思う。
現に、今もまともな感想が浮かんでいない。
日本人とは何かを問うてるとあとがきに書かれていたり、ウェブ上の解釈を読んだりしたものの、あまり私にはハマらなかった。

ハマらなかったのは、私が同調圧力を無視“したい”人間だからかもしれない。
本書が非常に有名なので私があらすじを書くことは不要かもしれないが、太平洋戦争中のアメリカ兵捕虜を臨床実験の被験者とした事件を基に書かれていて、関与した新人医師の苦悩が受け取れる。
戦時中だとか、倫理的にだとかを除外した時に、そこに描かれる普遍的なものがいわゆる同調圧力なのだとしたら。

日本ではよく「同調圧力が~~~」といった意見が見られるが、そんなものはどこにでも存在する。
こうしたほうが良い、こう振る舞うべき、といったものだが、インドにもあるし他の国にもある。
その地域やコミュニティの身内になると同調圧力を感じるのだ。
いつまでも外国人・余所者でいられる環境はなんと自由で楽なのだろうか。
私は日本では同調圧力を感じることが意外にもなく(中学校あたりから変わり者扱いされてきたことと、多分独身だったから)、インドで結婚してから「耐えなければ」と苦労した時期があり、結局耐え切れず爆発しトンデモ嫁として生きる覚悟を決めた。
そういう人間なので、圧力に負けて手を貸して罪に苛まれることに対する想像力が無いのだろう。
自分の感受性の弱さに悲しくなる。
(実際に、私自身は共感するふりはできるが、生来感受性が弱いと分析している。ふりができるだけマシかもしれないが。)
この本を熱く語りたい誰かの話を聞いてみたい。

そういえば、あまり気にしていなかった『海と毒薬』というタイトルも考察したくなる。
……結局ハマってしまっているのか?

海と毒薬 (角川文庫)
遠藤 周作
KADOKAWA
2021-05-25



2022年6冊目、遠藤周作著『影に対して』を読みました。

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「母さんは他のものはあなたに与えることはできなかったけれど、普通の母親たちとちがって、自分の人生をあなたに与えることができるのだと――それを今はあなたにたいするおわびの気持と一緒に自分に言いきかせているのです。アスハルトの道は安全だから誰だって歩きます。危険がないから誰だって歩きます。でもうしろを振りかえってみれば、その安全な道には自分の足あとなんか一つだって残っていやしない。海の砂浜は歩きにくい。歩きにくいけれどもうしろをふりかえれば自分の足あとが一つ一つ残っている。そんな人生を母さんはえらびました。あなたも決してアスハルトの道など歩くようなつまらぬ人生を送らないで下さい。」

『影に対して』で母から息子の勝呂に伝えられた言葉だ。

本書『影に対して』は、没後24年を経て発見された『影に対して』と、すでに雑誌で発表されていた6作から構成されている。
どの作品も、遠藤周作の母に対する愛憎まじりの執着を感じる。
実際の家族構成や居住についてはフィクションが加えられているものの、「ああこれは遠藤周作の人生、私小説だろう」と理解するのに難くない。

冒頭に紹介したアスハルトの道と海の砂浜の話は、一見格好良い、心に響く言葉である。
しかしながら、次第に、その言葉は私には呪縛に感じられて仕方がなかった。
父は、母からすれば安全な道を歩いた人かもしれなかったし、息子にはそうなってほしくないと、海の砂浜を歩く私(母)のようになってほしいという強い願いがこもっているように感じられた。
人間の性として避けることは難しいかもしれないが、親が子にこうなってほしいと思うことはあれど、これが正しい道だと言ってしまう、それを長年に渡って期待してしまうことのなんと重いことか。

遠藤周作は、複数の作品に渡って、書くことで、自身の信仰であるキリスト教と向き合い、そして母と向き合っている。
私はまだ母になったことがないため、妻の立場でしか考えられないが、こんなに生涯母への執着を募らせる夫の妻を務めた遠藤順子さんへの感動すら覚える。
子の立場として、私は、25~26歳の頃に悵恨の終焉を迎えた。
それは私が家族と話すことができたからであり、家族がその私を受け入れてくれたからである。
きっと遠藤周作は、母の早い死によりその機会が奪われてしまったし、父との確執が深まるばかりだったのだろう。
我々が生きている今を大事にするということは、そういった苦悶や後悔、憎しみや恨みを昇華させる機会が与えられていることに気付くことでもある。
人生のうまみは、単に楽しく感じる時間だけを増やすことにあるのではないのだと思わされる。
本書は、私には、遠藤周作の念を感じる重い本だった。

影に対して: 母をめぐる物語
周作, 遠藤
新潮社
2020-10-29


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