高校の時の毎月の課題図書のひとつだったものの、その時は読了せず、課題図書のテストも散々だった思い出がある。
今回読もうと思ったのは、ブックオフで見つけたことと、現在の私が遠藤周作ファンになっていたからである。
有名な『沈黙』、『深い河』や『影に対して』を読み彼の人生を追いかけている私としては読んだほうが良いだろうと思った。
日本で購入してインドに持って行ったものの読まずに終わり、もったいなく感じたのでインドから日本に向かう飛行機の中で一気に読んだ。
正直、この感想文を書けと言われたら私には相当難しい、いや、書けないと思う。
現に、今もまともな感想が浮かんでいない。
日本人とは何かを問うてるとあとがきに書かれていたり、ウェブ上の解釈を読んだりしたものの、あまり私にはハマらなかった。
ハマらなかったのは、私が同調圧力を無視“したい”人間だからかもしれない。
本書が非常に有名なので私があらすじを書くことは不要かもしれないが、太平洋戦争中のアメリカ兵捕虜を臨床実験の被験者とした事件を基に書かれていて、関与した新人医師の苦悩が受け取れる。
戦時中だとか、倫理的にだとかを除外した時に、そこに描かれる普遍的なものがいわゆる同調圧力なのだとしたら。
日本ではよく「同調圧力が~~~」といった意見が見られるが、そんなものはどこにでも存在する。
こうしたほうが良い、こう振る舞うべき、といったものだが、インドにもあるし他の国にもある。
その地域やコミュニティの身内になると同調圧力を感じるのだ。
いつまでも外国人・余所者でいられる環境はなんと自由で楽なのだろうか。
私は日本では同調圧力を感じることが意外にもなく(中学校あたりから変わり者扱いされてきたことと、多分独身だったから)、インドで結婚してから「耐えなければ」と苦労した時期があり、結局耐え切れず爆発しトンデモ嫁として生きる覚悟を決めた。
そういう人間なので、圧力に負けて手を貸して罪に苛まれることに対する想像力が無いのだろう。
自分の感受性の弱さに悲しくなる。
(実際に、私自身は共感するふりはできるが、生来感受性が弱いと分析している。ふりができるだけマシかもしれないが。)
この本を熱く語りたい誰かの話を聞いてみたい。
そういえば、あまり気にしていなかった『海と毒薬』というタイトルも考察したくなる。
……結局ハマってしまっているのか?